[1973年 – 1974年]

赤道アフリカ横断編 9 ガウンデレ[カメルーン] → ダルアルジャマル[ナイジェリア]

マラリアに倒れる

 カメルーン中部のガウンデレから北部のガロウア、マロウアに向かおうとしたが、高熱のため満足に歩くこともできない。膝や腰が痛くて、まっすぐ立っていられないのだ。そればかりでなく、肩も腕も手も、体の節々はすべて痛かった。

 町の市場の片隅に座り込み、どうしようか…と考える。

 もうこのままでは「無理だ」と思った。病院にいこうと決心した。ミッション系の病院が郊外にあるという。そこに向かったが、2キロほどの道のりが長く、辛いことといったらなかった。まさに「地獄の2キロ」。腰を曲げ、体をくの字にして歩いた。頭がガンガンと痛み、まるでハンマーで脳天を殴られているかのようだった。

 病院に着いたときは立っていられなかった。顔すら上げられなかった。アメリカ人医師に診てもらったが、マラリアにやられたという。熱は40度を超えていた。ノルウェー人の看護婦さんに注射され、薬を飲まされ、そのまま入院することになった。朦朧とした頭で「いったい幾らとられるのだろう…」と心配するのだった。

 ぼくはマラリアの予防薬をまったく飲んでいなかった。

 アメリカ人医師は、
「そんなに長くアフリカを旅しているのに、ニバキン(マラリアの予防薬)を飲まないなんて…」
 と、あきれたような顔つきでいった。

 個室のべッドに寝かされたが、高熱で生きた心地もしない。汗が滝のように吹き出るので、下着もシーツもあっというまにビショビショグシャグシャになってしまう。それが過ぎると、急に寒くなり、今度はガタガタ震えてしまう。歯がぶつかってカチカチ鳴る。歯が割れてしまうのではないかと不安になるほど。だが、どうにもこうにも止められない。苦しくて苦しくて、腹の底からのうめき声が出てしまう。

ノルウェー人看護婦さんのやさしさ

 猛烈な暑さと身の凍りつくような寒さの繰り返しと戦いながら、一夜が明けた。高熱はまだつづいたが、体はすこしは楽になっていた。朝の検診では、熱は40度をわずかだが、下がっていた。

 ノルウェー人の看護婦さんはまだ若い女性。北欧の女性特有の透き通ったような美しさがあった。彼女はやさしくしてくれた。そんな彼女のおかげで、ほんとうに救われた。

 病院では食事は出ない。どうしたらいいんだろうと途方に暮れていると、彼女は自分の家でつくったものだといって、時間になると食事を運んできてくれた。このような高熱に見舞われているときでも、ぼくの食欲は落ちないのだ。

 2日目はまだ高熱がつづいたが、3日目になるとスーッと熱は下がりだし、みるみるうちに体は楽になっていく。そして夕方には平熱に戻った。ふらつく足を踏みしめて、病院内を歩いた。自分の足で歩けることの幸福感をしみじみと味わった。

 その夜、ノルウェー人の看護婦さんは夕食に招いてくれた。小さなテーブルに向かい合って座り、一緒に食事をしていると胸がドキドキしてしまった。

 別れ際、彼女は「読んでね」といって、英語版の小さな聖書をぼくに手渡すのだった。

 病院には全部で4日、入院した。1日の入院費は1500CFAフラン(約2000円)だったが、彼女はぼくが1日しか入院しなかったことにしてくれた。さらに治療費も取らず、病院に払ったのは1日分の入院費の1500CFAフランだけだった。

北部カメルーンへ

 ガウンデレを出発。病み上がりのふらつく足で町の郊外まで歩いた。体はえらく軽くなり、まるでふわふわ宙を浮いているような感じだ。

 ヒッチハイクは楽だった。ほとんど待たずに乗せてもらい、その後も順調だった。

 アダマウア山地を越え、ニジェール川最大の支流、ベヌエ川の源流を渡り、ベヌエ・ナショナルパーク沿いの道を行く。

 その日の夕方、ガロウアに着いた。大統領の生まれ故郷だけあって道路は整備され、町並みもきれいだ。町外れを流れるベヌエ川はすっかり大きな流れになっていて立派な橋がかかっている。

 そんなベヌエ川の近くで野宿し、翌日はマロウアへ。その間は約200キロ。まずはガロウアから15キロ先のピトア村に行く車に乗せてもらったが、村の広場ではにぎやかな市が開かれていた。

 マロウアを目指してさらに北へ。北に行くにつれて暑さが厳しくなり、より乾燥してくる。チャド国境のフィギルまでは舗装路だが、路面は痛み、舗装はボロボロの状態。フィギルを過ぎるとダートに変る。

 フィギルからマロウアの間では、何本かの川を渡った。それらの川はチャド湖に流れ込む内陸河川、チャリ川に流れ込む川である。

 小型トラックの荷台に乗せてもらい、マロウアに着いたが、もうもうと巻き上がる土煙で体中真っ白だ。

 町の中心街近くをかなり大きな川が流れている。子供たちが歓声を上げて水遊びをしている。そんな子供たちと一緒になって水浴びをし、土ぼこりをきれいさっぱりと洗い流した。川から上がると、ゾロゾロとついてくる子供たちと一緒にマルシェ(市場)に行き、日が暮れるまで歩きまわった。夜はそこで知り合ったガルガさんの家で泊めてもらった。

ガロウアから北へ
ガロウアから北へ
乾燥した風景
乾燥した風景
フィギルからマロウアへの道
フィギルからマロウアへの道
北部カメルーンの村の風景
北部カメルーンの村の風景
マロウアを流れる川
マロウアを流れる川
マロウアを流れる川
マロウアを流れる川
マロウアのマルシェ(市場)
マロウアのマルシェ(市場)
マロウアのマルシェ(市場)で売られている素焼きの甕
マロウアのマルシェ(市場)で売られている素焼きの甕
マロウアで出会った子供たち
マロウアで出会った子供たち
ナイジェリア国境へ

 マロウアからナイジェリア国境までは100キロぐらいだが、その間、道は雨にやられ、大変だった。

 マロウアからマンダラ山地のガタガタ道を行きモラへ。マンダラ山地の人たちは、まるで岩山に溶け込むかのようにして生きている。岩かげに岩山の石を使った家を作って住んでいる。

 モラで道は2本に分かれる。北の道はワザ・ナショナルパークからチャドの首都フォールラミに通じている。モラから西に行く道がナイジェリア国境に通じている。

モラから西へ

 町外れを流れる川には小さな橋がかかっていた。ぼくが渡り終えたあと、その上を砂利を満載にしたトラックが通る。すると、「ドカーン!」とすごい音がした。まるで何かが爆発したかのような音。何とトラックの重さに耐え切れず、橋には大きな穴があいた。トラックの後輪はその大穴にすっぽりとはまり込んでしまった。

橋に大穴があいた現場
橋に大穴があいた現場

 カメルーン側の国境事務所までは歩いたが、モラから6キロほどのところにあった。出国手続きは簡単なもので、パスポートにポンと出国印が押された。そこからナイジェリア国境までは、地図を見るとさらに40キロほどある。その間は歩き通すつもりでいたが、スズキのバイクが止まってくれ、後ろに乗せてもらった。

 雨期の悪路を2人乗りのバイクで行く。大きな水溜りの連続。そんな水溜りにめり込み、動けなくなっているトラックもあった。雨期のアフリカの道というのは、あちこちで寸断されてしまう。

 国境の村に到着。国境の川を渡る。そこはナイジェリア。川を1本、渡っただけで、急に英語が通じるようになった。