[1973年 – 1974年]
赤道アフリカ横断編 10 ダルアルジャマル[ナイジェリア] → カノ[ナイジェリア]
マイドゥグリに到着
カメルーンからナイジェリアに入った。
ナイジェリア側はダルアルジャマル村。村はずれにある国境事務所で入国手続きをした。そこから北部ナイジェリアの中心地のひとつ、マイドゥグリまでは100キロほど。運よく1台の車に乗せてもらえた。
道は途中から舗装路になった。
マイドゥグリはチャド湖の南西に位置している。この一帯の中心地。
マイドゥグリに到着したのは夜になってから。その夜は税関の建物内で泊めてもらった。広い税関の庭にはカメルーンやチャドに行く20トンや30トン積みの大型トラックが何台も停まっていた。
夜中から雨が降り出す。あっというまに激しい雨になり、朝になっても降りつづいていた。豪雨だ。そんな雨の中を歩き出した。
3タイプのフラニ族
マイドゥグリから乗せてくれたのはフラニ族の役人。250キロほど西のポティスクムまで行くという。彼との話はおもしろかった。
フラニ族はカメルーンのフルべ族と同じ民族だが、フラニ族には「タウン・フラニ」、「ハウス・フラニ」・「ブッシュ・フラニ」の3タイプがあるという。
「タウン・フラニ」は町に家を持ち、ちゃんとした教育を受けたフラニ、「ハウス・フラニ」は定住し、農耕をするフラニ、そして「ブッシュ・フラニ」は牛や羊、山羊とともに遊牧するフラニで、フラニ族というのはもともとは「ブッシュ・フラニ」。彼は「タウン・フラニ」だという。
アフリカの対立
フラニ族の役人は旧フランス領圏のアフリカの国々を徹底的に悪くいう。「ベリー・プアー(貧しい国だ)。ナッシング(何もない)、ナッシング!」
ナイジェリアと国境を接している周辺の国々はすべて旧フランス領。
「彼らは独立したといっているが、いまだにフランスの植民地と変りがない。ナイジェリアのように真に独立した国にはなっていない」
サハラ砂漠以南のブラックアフリカにはキリスト教国とイスラム教国の根深い対立があるが、それと同時に旧イギリス領と旧フランス領の対立がある。ともにアフリカ古来のものでないだけに、なんともアフリカにとっては不運であり、気の毒な話だ。
途中、大勢の人だかりがしている村を通りかかった。道端には白い布で包まれた2つの死体があった。車にはねとばされたという。その車はそのまま走り去ったという。
村人たちは怒り狂っていたが、これはよくあること。事故を起こし、人をはねても、ほとんどの車はそのまま走り去っていくのが現状。これも持つ者と持たざる者の対立か…。
雨期の洪水
事故のあった村からさらに西に行くと、大型トラックなどが数珠つなぎになって停まっていた。雨期の洪水で、道路が完全に水没してしまったのだ。平原を水びたしにし、ゴウゴウとすごい音をたてて水が流れている。夜中から朝方にかけて降った豪雨のためだという。
車がいつになったら通れるようになるのか、まったく見通しがつかない状況。ポティスクムまで行く予定にしていたフラニ族の役人は急きょ、予定を変更し、マイドゥグリに戻っていった。
その川は乾期の間は一滴の水も流れない水無川になるという。そのため橋はかかっていない。ところが雨期になると水が流れるようになるが、それでも川底にコンクリートを打ってあるので、車は通れる。だがいったん大雨になると、濁流の大河に豹変し、まったく車は通れなくなってしまう。
夕方になると、水の勢いはすこしは衰えてきた。濁流の中を車が通りはじめる。流されないないように1台の車を2、30人の人たちが押す。
レバノン人のジョゼフ
その雨期の洪水の現場で、レバノン人と知り合った。まだ20代のジョゼフという若者だ。彼は北部ナイジェリア最大の都市、カノまで行くという。
何ともラッキーなことに、濁流の川を渡り終えると、彼の車の乗せてもらえた。ベンツの乗用車。カノまでは500キロほどあったが、夜道を100何十キロのスピードで突っ走る。フラニ族の役人が行くつもりにしていたポティスクムを通り、真夜中にカノに着いた。
カノでは3日ほど、ジョゼフの家に泊めてもらった。彼は青年実業家。いろいろな人たちに紹介されたが、カノのレバノン人社会の一端を垣間見る思いがした。まるでアラビア語が公用語であるかのようにポンポンと飛び出す。
カノで見た英字新聞には、あの洪水の写真が一面に出ていた。その記事によると、カノ〜マイドゥグリ間の幹線道路はしばらく通行止めになるという。
ニジェールへ…
カノからニジェールに向かう。
カノから10キロほど行くと、2本の道の分岐点に出る。北に行く道はダウラからニジェールに入る道。ジンデールからアガデスへ、そしてサハラ砂漠縦断路でアルジェリアのタマンラセットに通じている。
西に行く道はジビアからニジェールに入る道で、ニジェールの首都ニアメーに通じている。
その分岐点までジョゼフに送ってもらった。何度も握手をかわして別れたが、ジョゼフにはほんとうによくしてもらった。
「さようなら、ジョゼフ」
その分岐点から西の道を行き、ニジェールの首都ニアメーを目指す。
ナイジェリアでのヒッチハイクは楽で、何台かの車に乗せてもらい、夕方にはナイジェリア・ニジェールの国境に到着。その夜はナイジェリア側の国境事務所で泊めてもらった。