2024年10月26日
「お水取り」はここから
若狭の国府めぐりを終えたところで、Vストローム250SXを止めて地図を見ていると、「湖上館PAMCO」で別れたばかりの内田一成さんにバッタリ出会った。内田さんは若狭に詳しい。ということで内田さんの案内で、遠敷(おにゅう)川沿いの「遠敷の里」に入っていく。ここはまさに若狭の歴史を感じさせるエリアだ。
遠敷川沿いの県道35号を行くと、右手には森に囲まれた若狭姫神社が見えてくる。若狭東高校の前にある若狭姫神社を参拝。ここは若狭一宮の若狭彦神社の下宮になる。拝殿に隣り合って千年杉がそそり立っている姿は迫力満点。その先には、おい茂る杉木立に囲まれた若狭一宮の若狭彦神社がある。こちらは上宮になる。
若狭一宮の参拝を終えると、次に県道35号の右手にある神宮寺へ。奈良・東大寺二月堂の「お水取り」の水はここから送られる。神宮寺は「お水送り」の行事のおこなわれる寺。神宮寺の閼伽井戸で汲んだ水は、その先の遠敷川の鵜の瀬で流される。これが「お水送り」。鵜の瀬の淵は、奈良東大寺二月堂の「若狭井」とは地下水脈でつながっているといい伝えられているのだ。奈良東大寺二月堂の裏手には遠敷神社が祀られているが、小浜と奈良の結びつきは強い。
「鵜の瀬公園資料館」には「お水送り」の行事の写真と和紙人形が展示されている。内田さんは鵜の瀬の「お水送り」を見続けて10年以上になるという。内田さんの案内で見てまわる鵜の瀬は心に残った。
鵜の瀬には若狭彦神社の元宮といわれる白石神社があるが、若狭彦神と若狭姫神はこの地に降臨したという。若狭彦神は彦火火出見(ひこほほでみ)尊、若狭姫神は豊玉姫命といわれている。この地はまた、「良弁和尚」誕生の地でもある。奈良時代の僧良弁は東大寺の建立に尽力した。伊勢原の大山にある大山寺も良弁が開山した。大山の名物は「良弁饅頭」。小浜と伊勢原は良弁でつながっている。
鵜の瀬からさらに遠敷川の上流に行った下根来の集落には、八百尼(やおびくに)の墓がある。八百尼は伝説上の比丘尼(女性の出家修行者)で、800年生きたという。ここでは内田さんに若狭に伝わる不老不死伝説を聞いた。
八百尼の墓で内田さんと別れ、さらに遠敷川沿いに遡っていく。下根来から上根来の集落へ。ここではショッキングな光景を見る。上根来にはまったく人影はなく、廃村になっていた。
上根来から遠敷峠を登って行く。狭路の急勾配の峠道。ブラインドのコーナーを曲がるごとに高度をあげ、若狭の山々を見渡すようになる。そしてついに若狭・近江国境(福井・滋賀県境)の遠敷峠に到達した。