鵜ノ子岬→尻屋崎[057]

第4回目(14)2012年3月10日 – 21日

今日は石巻で

 3月17日。夜明けとともに起きる。「松島センチュリーホテル」の朝湯に入り、湯から上がると松島を歩いた。天気予報は雨だったが、青空が広がっているのがうれしい。

 7時、朝食。

 8時30分、スズキの村上さんとホテルを出る。

「スズキきずなキャリイキャラバン」のみなさんの乗った車がホテルにやってくると、V−ストローム650でその後について走った。

 今日の目的地も石巻だ。

「スズキきずなキャリイキャラバン」は石巻の中心街、合同庁舎前にある「山口輪業」に到着。ここは石巻の海岸から4キロ近くも離れているのに大津波に襲われ、「山口輪業」は全壊した。社長の山口さんは目の前の合同庁舎に逃げ込み、その後は5、6キロも離れた避難所暮らしがつづいた。避難所では大変な思いをしたが、骨身を惜しんでリーダー役を勤めたという。

 山口社長のバイク店にかける想い、情熱にはものすごいものがある。

 毎日、避難所から「山口輪業」まで通い、メチャクチャになった店のあとかたずけをした。全国から駆けつけてくれたボランティアの人たちにはずいぶんと助けられた。とくにライダーの力が大きかったという。

 すべてを流されてしまったので一からの出直しだったが、
「俺は日本一の借金大魔王!」
 といって笑い飛ばすような豪快な山口さんは、借りられるだけのお金を借りて、被災後、何と1ヵ月で仮店舗をオープンさせた。

 前日と同じように、ここ「山口輪業」から大阪モーターサイクルショー会場のスズキ・ブースのMC原智美さんに携帯で午前1回、午後2回、大津波に襲われた石巻の様子や「山口輪業」の様子、店の復興の進み具合などを話し、山口社長にも登場してもらった。

 それにしても不思議な気がしたのは、アナログのカソリといわれるくらいで、
「携帯は絶対に持たない!」
 といってたのに、こうして携帯で石巻から大阪モーターサイクルショーに来てくれているみなさんに話かけていることだった。

 天気予報は当り、午後から雨になった。

 15時30分、「スズキきずなキャリイキャラバン」はバイク、スクーターの無料点検を終え、「山口輪業」を出発。みなさんと一緒に石巻から気仙沼へと向かった。

 石巻から国道45号を北へ。河北ICで三陸道に入り、終点の登米東和ICで降りる。仙台からつづく三陸道の開通区間はここまで。三陸海岸の復興のためにも三陸道の一日も早い全線の開通を願うばかりだ。

 登米東和ICから国道398号→県道202号→国道346号→国道45号で気仙沼へ。石巻から気仙沼に行くのには、このルートが最速になる。距離は43キロでしかないのに、3時間もかかった。三陸道が完成すれば1時間もかからずに行ける距離なのだが。

 石巻から気仙沼まではずっと雨…。冷たい雨中の走行には辛いものがあったが、
「雪にならなくてよかった!」

 気仙沼に到着したのは18時30分。

 高台の「ホテル望洋」に泊まった。高台の下は一面、大津波に襲われた被災地なので、まったく明かりがない。それが何とも不気味だった。

 スズキの村上さんや「スズキきずなキャリイキャラバン」のみなさんと一緒に夜の気仙沼を歩き、漁港近くに完成した仮設の「復興屋台村」の店、一軒一軒をのぞいていく。そこには明かりが灯り、暖かさが漂い、店内からは笑い声が聞こえてくる。

 我々はそんな「復興屋台村」の中にある「はまらん家」という店に入り、まずは気仙沼の復興第一歩を祝して生ビールで乾杯。気仙沼名物の「はまらん焼」を食べた。

 気仙沼では仮設商店街の「復幸マルシェ」やこの仮設の「復興屋台村」が完成した。気仙沼漁港では水揚げがはじまり、仮設の水産加工施設も完成した。ここで感じるのはみなさんの復興に向けての熱意だ。

「頑張れ、気仙沼!」

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