六大陸食紀行

共同通信配信 1998年〜1999年

第10回 東南アジア・ラオス

「インドシナ一周」で走ったラオスは忘れられない国だ。

 首都のビエンチャンから北に400キロ走ると古都ルアンプラバンに着くが、市場を歩き、屋台で麺を食べ、メコン川の岸辺を歩いた。河港には何隻もの船がつながれている。

 船乗りたちが夕食の準備をしている。岸辺でご飯のカオニオを炊き、料理をつくるのを見ていると、
「一緒にどうだい?」
 と、誘われた。ありがたくいただく。船上での、ランプの明かりのもとでの夕食だ。

 カオニオやおかずの入った皿をまん中に置き、みんなで車座になって座る。カオニオを手づかみで丸め、おかずと一緒に食べる。カオニオは糯米(もちごめ)を蒸籠(せいろ)で蒸した強飯(こわめし)のことで、手づかみでもポロポロこぼれることはない。

「これも食べてみなよ。ニップーン(日本)にあるか?」

 といわれて食べたのは、なんとのりではないか。メコン川でとれる川のりだという。

カオニオ(強飯)が炊きあがった(ラオス)
カオニオ(強飯)が炊きあがった(ラオス)

 ルアンプラバンから北へ、北部ラオスの道はたいそうな悪路で、おまけに町らしい町もない。村に着くと、集まってくる村人に「キンカオ(食事)」といって、何か食べるものはありませんか‥‥と、身振り手振りで聞いてみる。

 すると村人の一人が私の手を引いて彼の家に連れていってくれる。高床式の家。ブーツを脱ぎ、階段を上り、家の中に入って竹を敷いた床に座る。ひやっとした竹の感触。

 その家の奥さんは、家の一角に仕切られた炊事場でマキを燃やし、鍋で湯を沸かし、青菜のスープをつくってくれる。スープができあがると、カオニオと塩漬けにした豚肉、それと魚醤油のナンパーにトウガラシを刻んで入れたものを持ってきてくれた。

 出してくれたカオニオは遠慮なく、手づかみで全部食べた。青菜のスープも全部飲みほした。ありがたい!

 稲の原産地はインドシナから中国・雲南省にかけての山岳地帯といわれているが、北部ラオスはまさにその中心。日本人は粘りけの強い米を好むが、ラオスはその源流のようなところで、世界で唯一、糯米を主食にしている国。ラオスの味、それは糯米のご飯(強飯)のカオニオだ。

第11回 東南アジア・ベトナム

 ラオス北部のほとんど交通量のない山道を走り、タイチャン峠に到着。幾重にも重なり合った山々を一望する。

 峠がラオスとベトナムの国境で、峠上にはベトナムの国境警備隊の事務所と宿舎があった。すんなりとベトナムに入国できなかった私は、一晩そこで泊めてもらうことになった、というよりも足止めを食らった。

 夕食をみなさんと一緒にいただく。ポロポロのご飯と炒めた豚肉、それと青菜のスープだ。ラオスでは粘っこい糯米(もちごめ)が主食になっていたが、国境を越えたとたんに米が変わった。ベトナム人の主食はパサついた粳米(うるちまい)なのである。

 同じ“米食圏”といっても国境をはさんだラオスとベトナムでは、その食べ方は全然違う。ラオスでは竹籠に入った糯米のご飯(強飯)を団子をつまむようにして手づかみで食べるが、ベトナムではご飯の入った茶碗を口元までもってきて、箸でかきこむようにして食べる。でないと、ポロポロしているので、ご飯をこぼしてしまうのだ。

 それにしても、みなさん、よく食べる。次々におかわりし、5、6杯は食べている。日本の米のように重たくないので、何杯食べても腹には、そうもたれない。

 3杯以上食べなくてはいけないと、国境警備隊長は私の食べるそばからおかわりしてくれる。最後の1杯はみなさんと同じように青菜のスープをご飯にかけ、ズルズル音をたてて食べたが、お茶漬風のさっぱりした味わいだった。

 ハノイからサイゴン(ホーチミンシティー)までのベトナム縦断で一番よく食べたのは、“ベトナムうどん”といった趣のフォーである。フォーを食べなかった日は一日としてなく、朝、昼ともにフォーという日も多かった。汁の味つけも日本人好みだ。

 具だくさんのフォーだが、鶏肉が入ればフォーガーになり、牛肉が入るとフォーボーになる。フォーサオという焼きうどんもある。

 ただ日本のうどんと大きく異なるのは、小麦粉ではなく米粉からつくられていることである。フォーはまさに“米食圏”ベトナムを象徴するかのような食べものだった。

食堂でフォーを食べるカップル(ベトナム)
食堂でフォーを食べるカップル(ベトナム)

第12回 東南アジア・カンボジア

「インドシナ一周」の最後はベトナム国境からタイ国境までのカンボジア横断だ。内戦の最中で、情勢のきわめて悪い時期。それこそ命を張ってのカンボジア横断になったが、その中でも私はしっかりと食べ歩いた。

プノンペンの市場を歩く(カンボジア)
プノンペンの市場を歩く(カンボジア)

 首都プノンペンから300キロ西のバッタンバンまでは国道5号を走った。橋が爆破されたり、トラックやバスが襲撃されたりと不穏な状態がつづいていたが、途中の町や村で見かけるカンボジア人たちは誰もが明るく、穏やかな顔をしていた。動乱の国はいったいどこの話なのだと、不思議な気がしたほどだ。

 国道5号沿いの食堂でバイクを止め食事にする。店先には料理の入った鍋が並んでいる。鍋の隣には焼き鳥が大きな盆に山盛りになっている。

 この焼き鳥は日本のものとは違って、本当の焼き鳥とでもいおうか、空気銃で撃ち落とした野鳥を焼いたもの。まずはそれにかぶりつく。骨ばっているので肉はあまりないが、かみしめるほどに野性の味がする。

 そのあとで、鍋のふたをひとつづつ開けて中を見たあと、
「これと、これ、お願いします」
 と、食堂のおかみさんに指でさす。ご飯と豚肉入りの野菜炒め、白身の魚入りのスープを頼み、それにゆで卵をひとつ、つけてもらった。

 まずは、ゆで卵を食べてみる。殻を割ってビックリ。中には孵化寸前の雛(ひな)が入っていた。見た目は悪いが、スプーンですくって食べたその味は病みつきになりそう。実際に私はそのあと、バッタンバンの市場でも、まったく同じものを探して食べた。

 さて食事の方だが、白身の魚入りのスープは絶品だった。トンレサップ湖から流れ出るトンレサップ川でとれた淡水魚だが、ほのかな脂分の、上品で淡白な味わい。トンレサップ湖はインドシナでも有数の淡水魚の宝庫になっている。

 このスープにはショウガを効かせている。暑さが厳しいので、ショウガのピリッとした味のアクセントが食欲を増す。さらにもうひと味、魚醤油のトゥクトレイをたらすと、まさにインドシナの味になる。日本からほとんど姿を消した魚醤油は、“魚醤油圏”のインドシナでは欠かすことのできない調味料なのである。