賀曽利隆の観文研時代[137]

賀曽利隆食文化研究所(26)番外編

『ツーリングGO!GO!』(三栄発行)2005年2月号 所収

序論

 日本各地の麺を食べ歩いているカソリだが、中国軽騎鈴木製の11ccバイク、QS110を走らせての「旧満州走破行」(2004年)では、本場中国の麺を食べた。食べるだけでなく、食堂の調理場をのぞかせてもらい、麺職人の麺づくりを見た。また、あちこちの町で市場を歩いたが、露店の麺づくりも見た。水田での稲作よりも、畑作での小麦づくりの方がはるかに盛んな中国北部の華北から東北地方にかけての一帯は、世界の「麺食文化」の中心地。それだけに「本場の麺を食べた!」、「本場の麺づくりを見た!」という満足感をも味わった。

調査

 中国の麺職人たちは、まるで魔術師のようだ。

 たとえば拉麺(ラーメン)づくり。こねた小麦粉を手で引っ張り、ブルンブルンふりまわし、あっというまに細長く延ばしていく。手先の力加減ひとつで太麺や細麺を自由自在につくってしまう。なんとも豪快で華やかな拉麺づくり。

「どうして手だけで、こうも簡単に麺ができてしまうのだろう」
 と驚きの目で見てしまう。

 各地に「拉麺」の専門店があるが、食べ方は汁ありと汁なしの2通り。牛骨スープなどの汁ありの麺には牛肉やゆで卵、香菜(中国料理には欠かせない香辛料)などの具が入っている。汁なしの麺は卵やトウモロコシ粉、味噌などでからめたソースを麺の上にのせて食べる。スパゲティー風の食べ方だ。

 拉麺に似ているのが抻麺(チャンメン)。抻麺の本場は華北・甘粛省の蘭州で、「蘭州抻麺」の看板を掲げた専門店を各地で見た。拉麺づくりに比べると、抻麺づくりはもっと手元でコチョコチョという感じでつくってしまうが、やはりこねた小麦粉を手だけでつくる麺。その速さは拉麺以上!

 刀削麺はこねた小麦粉を小刀をつかってパパパパパッと削り、目にもとまらぬ速さで沸騰した大鍋の湯の中に入れていく。

 手延麺は日本でもおなじみの麺の作り方。こねた小麦粉をのし棒でのし、薄く平べったくし、折りたたんで包丁で切って麺にする。

 このように中国の麺の種類は多様だ。

 これらの手づくり麺は日本でいえば「うどん」になるが、うどん類を総称して「麺条(メンティヤォ)」といっている。

結論

 ところで日本の国民食になった感のある「ラーメン」だが、「ラーメン」の言葉が定着したのは、このわずか4、50年のことでしかない。

 戦前は「支那そば」といっていた。

 メンマも「支那竹」といっていた。

 それが戦後、中国・東北地方から戻ってきた人たちが「拉麺」の言葉を広めた結果、「支那そば」のことを「ラーメン」というようになった。

「ラーメン」を漢字で書くと「拉麺」になるが、名前と中身の違うものになって定着したのである。

 中国・東北地方で麺を食べ歩いたカソリ、ますます「麺食文化」には心をひかれ、「麺ロード」を西へ、西へと行ってみたくなった。

「麺ロード」はきれいに「シルクロード」に重なり合う。中国・華北の麺は「シルクロード」を通って中央アジアに定着し、その西端にイタリアのスパゲティーがある。

 きっといつの日か、バイクを走らせ、この地球規模の壮大な「麺ロード」を追って行こう!(2006年には「天津←イスタンブール」の「シルクロード横断」を成しとげた)