第1回目(16)2011年5月10日-20日

大槌町も山田町も壊滅状態

 釜石から国道45号で宮古へ。

 釜石市内の両石と鵜住居は壊滅状態で多くの犠牲者を出した。

 東日本大震災での釜石市の死者・行方不明者は1000人を超えるが、その大半は両石と鵜住居。両石漁港の防潮堤は破壊されていた。国道45号はその破壊された防潮堤のすぐ脇を通っている。

 鵜住居を過ぎると大槌町だが、国道45号の旧道で町の中心街に入っていくと、すさまじい光景が広がる。大津波のあとの大火事で黒焦げになった建物を見る。大槌町での死者行方不明者は1000人を超える。

 国道45号で大槌町から山田町に入ったが、ここも町は壊滅状態。山田町の死者・行方不明者は1000人近い。釜石から山田まではバイクで走れば1時間ほどの距離。その間で3000人を超える死者・行方不明者を出した。山田には見上げるような巨大防潮堤が残っていたが、大津波はその巨大防潮堤をのり越えて町を飲み込んだ。

 山田からは国道45号のブナ峠を越え、宮古湾へと下っていく。

 宮古湾岸の温泉施設、宮古湾温泉「マース」も激しくやられ、再開は不可能のように見えた。ここの湯には何度も入り、泊まったこともある。それだけにあまりにも無惨な姿を目の当たりにして、無性に寂しい気持ちに襲われた。

 大津波によって破壊された玄関前に立つと、営業していたころの「マース」が目に浮かんでくる。温泉に入りに来た人たちの弾んだ声が聞こえてくる。宮古湾温泉「マース」を後にすると、国道45号で宮古の町に入っていった。