2011年3月11日

マグニチュード9・0の超巨大地震

東日本大震災の大津波で破壊されたJR常磐線の新地駅(福島)2011年5月12日
東日本大震災の大津波で破壊されたJR常磐線の新地駅(福島)2011年5月12日

 2011年3月11日(金)14時46分に発生した「東日本大震災」(東北地方太平洋沖地震)は、想像を絶する甚大な被害をもたらした。

 我が家は神奈川県西部の伊勢原市にあるが、これがマグニチュード9・0という世界最大級の地震のすごさで、震源地から何百キロも離れているというのに、びっくりするような揺れで震度5強を記録した。

 地震発生から4日目、福島県在住の渡辺哲さんから電話をもらった。いわき市内の避難所からの電話だった。

 東京電力福島第2原子力発電所のある楢葉町に住んでいる渡辺さんは、今回の大津波にあやうく巻き込まれるところだった。大津波は渡辺家の近くまで達したという。大津波に直撃された海岸一帯は壊滅的な状況だという。

 巨大津波に追い討ちをかけるように、その直後に今度は東京電力福島第1原子力発電所の爆発事故。そのため渡辺さんはいわき市内の避難所に避難し、そこから電話をしてくれた。

「すぐにでも家に帰りたいですよ。車ではまったく動けないような状態ですが、バイクなら何とか行けそうです」
 という渡辺さんだった。

 それにしても「東日本大震災」のあまりにもすさまじい被害状況には声もなかった。

 志津川(南三陸町)や陸前高田といった三陸海岸の町は消え去った。

 ぼくはその前年、『ツーリングマップル東北』の実走取材で、東北太平洋側の「鵜ノ子岬→尻屋崎」を走った。鵜ノ子岬は東北太平洋岸最南の岬、尻屋崎は東北太平洋岸最北の岬。それは今回の大津波で徹底的に痛めつけられたエリアに重なる。三陸海岸のいたるところで大防潮堤を見た。とくに両石(釜石市)や田老の防潮堤はすごかった。まるで城砦を見るかのような防潮堤。それが今回の巨大津波は軽々と防潮堤を乗り越え、破壊して町を飲み込んだ。

「東日本大震災」で我々日本人は太平洋戦争後では最大級の国難に直面したが、戦後の焼け野原の中から這い上がり、立ち上がった歴史を持っている。今こそもう一度、日本人が一丸となって立ち向かっていけば、この国難を乗り越えて復興できると信じ、「まずは東北太平洋岸全域の被害の状況を見てみよう。そしてその後の復興の様子を見てみよう」という思いで「鵜ノ子岬→尻屋崎」を始めた。

 第1回目の「鵜ノ子岬→尻屋崎」は東日本大震災2ヵ月後の2011年5月のことだった。それ以降毎年走り、今年(2022年)は第27回目を数えている。「鵜ノ子岬→尻屋崎」は我がライフワークになっている。