賀曽利隆の観文研時代[109]

西原の麦食(3)

1986年

 甲州の山村、西原での大麦の食べ方は、次のようなものだ。

 一番よく食べられたのは、麦粥の「オバク」だ。搗いて精白した麦を4、5時間、麦の一粒一粒がふやけて粘り気が出てくるまで炊く。

 オバクには2種類あって、麦だけで炊く「ゆるいオバク」と、その中に米を入れてさらに炊く「かたいオバク」がある。ゆるいオバクには夏だとインゲン、冬だと大根をカテとして入れる。ハレの日には、小豆を入れて「豆オバク」をつくる。

西原のオバク(麦粥)。中にインゲンが入っている
西原のオバク(麦粥)。中にインゲンが入っている

 オバクハは一年中つくるが、とくに朝食用につくる。オバクのおかずというと、ネギを刻んで味噌に混ぜるねぎ味噌がつくくらいであった。

 現在(1986年)、西原で大麦をつくっている家は少ない。そのためオバクをつくることもできず、その味をなつかしむお年寄りは多い。

 大麦は麦飯にも炊く。

 米だけの飯を炊くというのは、かつては盆と正月ぐらいなもので、麦飯といえば麦が7、8分、米が2、3分ぐらいの混ぜ方が普通であった。

 大麦を麦飯に炊くときは、丸麦のままだとかたくてなかなか炊けないので、それを碾臼で碾き割って、米と一緒に炊く割麦飯にした。

 終戦直後の頃から押麦がはやると、押麦を米と一緒に炊く押麦飯にした。押麦は蒸した大麦に圧力をかけて扁平にしたもので、西原ではそれを上野原の工場に注文してつくってもらった。

 麦飯を炊いている家は今でもあるが、どの家でも、押麦飯よりも割麦飯の方がうまいといっている。

 麦飯といっても今では米1升に対して麦2合ぐらいの割合なので、米に麦を混ぜたような麦飯だ。

 西原の民家で昼食に割麦飯をいただいたが、そのときのおかずはサトイモ、インゲン、シイタケの煮物と味噌汁だった。

 大麦からは、「コガシ」もつくる。

 西日本でははったい粉、中部日本では香煎(こうせん)、関東では麦こがしといっているものだが、大麦を焙烙(ほうろく)で炒り、それを碾臼で碾いたもの。そのまま食べたり、砂糖を混ぜ、水を加えて練る「ネリコガシ」にもする。

 さらに大麦からはコウジもつくる。蒸籠で蒸し、箱に入れ、押しぶたをし、上に布などをかけて重しをし、そのまま3日ほどおいておく。すると発酵した麦は熱を持ってくる。

 麦が熱くなったところで重しをとり、布をかけ、1週間ほどすると熱は下がり、それを乾燥させる。自然発酵させてつくるコウジで、種コウジをつけるようなことはしない。それを缶などに入れておけば、いくらでも保存がきく。西原名物の酒饅頭もこのコウジを使ってつくる。