日向山地の猪狩りと祭り(3)

1986年

 銀鏡神楽が終わったあとのことだが、銀鏡の猪狩りに同行させてもらった。

 勢子2人とマブシ1人の3人での共同猟。全部で8頭の猟犬を連れていく。

 猟師たちは作業着と地下足袋という格好で、ザックを背負い、狩猟許可用のバッジのついた帽子をかぶり、無線機を胸のポケットに入れている。弾帯を腰に巻き、そこには実弾と空砲のほかにタカウソ(竹笛)をさし込んでいる。銃は連発式である。

 ザックの中には水筒、弁当、懐中電灯、ビニール袋、獲った猪を棒にくくりつけるひも、狩猟更新証、猟期ごとに更新する乙種(鉄砲用)の狩猟者登録証、ヤマガラシ(小刀)などが入っている。

軽トラで猟場に到着。すばやく勢子役とマブシ役に分かれる
軽トラで猟場に到着。すばやく勢子役とマブシ役に分かれる

 軽トラックで銀鏡川上流の奥山に入っていく。

 猟場に到着。

 勢子役の2人は稜線を登り、そのあと雑木地帯と造林地帯の境を中心にして、さらに銀鏡川の右岸を上流へと入っていく。時々、タカウソを吹いて犬に合図を送り、勢子同士、または勢子とマブシは無線機で連絡をとりあう。

 マブシは銀鏡川左岸の道路上に立ちつくし、勢子と猟犬の動きを見守るが、ほとんど動くことはない。

 猪狩りが始まって1時間ほどたった頃、猟犬は猪をみつけたようで、激しく吠え立てる。それと同時にマブシは川上に向かって走った。忍者を思わせるような、足音をほとんどたてない軽快な走り方だ。犬が降りてきそうな場所まで走ると、銃に弾を込め、銃口を川原に向ける。

 猟犬に追われた猪は猛烈な速さで川原に飛び降りてくる。その瞬間をのがさずにマブシ役の猟師は引き金を引いた。

 銃声が谷間の空気を震わせる。

 見事な腕前で、一発で仕とめた。

 猟師は言った。

「シシを撃つときは、マッカタといって肩口をねらうんだ。マッカタに当たれば、そのまま心臓を貫通するので、一発で仕とめられる」

「シシガリはね、一発で仕とめなくてはならない。イカケ(手負いの猪)になると、死にものぐるいで襲ってくるからね」

 仕とめた猪は雄で、かなりの大物だ。

 背負って道路まで運び上げ、軽トラックの荷台にのせる。

 撃ちとった猟師の家に帰りつくと、そこで猪の解体が始まった。

 コンクリートのたたきの上に猪をころがし、プロパンのガスバーナーで毛を焼く。竹箒で毛を掃き落とし、ヤマガラシでこそいでいくと、真っ白な肌がむきだしになってくる。よほど犬に追いつめられたのだろう、その肌には無数の傷ができている。

 タワシを使ってぬるま湯で洗いながら、
「このシシは肥えとるよ!」
 と、猟師は弾んだ声でいう。

 はかりにのせると、目盛りは50キロを超えた。

 猪をあおむけにし、胸から解体していく。みぞおちあたりに刃先を入れ、そこから下へと切っていく。

取り出された猪の内臓
取り出された猪の内臓

 腹を開くと、内臓をとり出す。

 クロフク(肝臓)、アカフク(肺)、マル(心臓)は別にし、そのほかの内臓はまとめて笊に入れる。

 内臓をすべてとり出すと、タオルで血をふき取る。

 耳を切り落とし、首の付け根あたりに切り込みを入れ、渾身の力を込めて、頭をひねるようにして落とす。

 あばら骨のまわりの肉をはぎ、胴体を左右、2つに切り分けたところで、屋外での作業は終わる。

 猪の肉は屋内にもち込まれる。

 クルマゴ(首)を切り落とし、猪狩りに参加した猟師の人数分に分けられる。クルマゴは猪肉の中でも一番美味な部位なのだ。

 次に鼻を切り落とす。マムシにかまれたとき、乾燥させた猪の鼻を傷口にこすりつけると、命をとりとめるといわれているほどの効果がある。

 口を開け、舌を取り出す。舌は焼いて食べる。脳みそは炊く。あご骨のことをカマゲタと呼んでいるが、それは飾っておく。

 2つに切り分けた胴体からは、手足に切り込みを入れ、力をこめてへし折る。杓子の形をした「メシゲボネ」と呼ぶ肩骨をはずす。これは大仕事だった。

 あばら骨は手斧でたたき割る。骨つきで炊くと、肉がほぐれるという。

 最後に胴体の肉を3つに切り分け、猪の解体は終わった。ここまで1時間40分ほどかかった。

 解体のあとは分配である。まずはシュロの葉をさいて、何本ものひもをつくる。そして肉を1キロづつのキンヅクリにする。キンヅクリというのは尺貫法時代の名残の言葉で、1斤のことだ。

 キンヅクリにした猪肉に包丁で穴をあけ、それにひもを通す。こうして全部で23個のキンヅクシができ、それを9等分にした。撃ち取ったカリンドのイテダマス分が1つ、勢子分が2つ、人数分が3つ、犬分が3つという分け方だった。

 犬も一人前にあつかわれるが、3頭以上いても最大限3つだという。

 分配が終わると、カリンドたちは猪肉を焼きながら焼酎を飲み始める。この日の猟を語り合うのだが、話はいつしか昔の猟の話になり、いつはてるともなくつづくのであった。