賀曽利隆の観文研時代[94]

吉野川の鮎(2)

1986年

 大歩危駅前の食堂「いちひろ」で「あゆ定食」の昼食を食べたあと、食堂のご主人の釆本(うねもと)博さんに、この地方の鮎料理について聞いた。

 鮎は6月の解禁直後の若鮎を塩焼きにして食べるのが一番だという。

 そのほか味噌焼きにもする。味噌焼きは生姜、唐辛子、山椒、味醂、砂糖などを混ぜた味噌をつくり、刻みを入れた鮎にそれを塗りつけて焼いたもの。

 鮎をゆで、身と骨がほぐれたところで、うどんやそばの汁に入れる「鮎うどん」や「鮎そば」にもする。鮎の臓物の苦みがほどよい味のアクセントになるという。

 大物の鮎は刺身にもする。

 鮎釣りをしながら、河原で石焼にすることもある。火をたいて、その中に石をほうり込み、石が焼けると焚木をとり除き、焼けた石の上に塩をふりかけた鮎をのせておく。焦げないし、身を傷めることもなく、じつにうまく焼けるという。

 解禁直後から夏の土用の頃までの鮎を若鮎と呼んでいるが、それを過ぎた成熟した鮎からは「うるか(鮎の塩辛)」をつくる。

 成長した鮎はアカと呼ぶ川藻を食べる。上質のうるかをつくるためには、それが腸までいかず、胃の中にとどまっている状態がいいとされている。腕のいい漁師は鮎のアカの食べ具合を見て、アカを食べたばかりの頃を見計らって、釣り上げるという。

鮎の塩焼き
鮎の塩焼き
ふっくらとした落ち鮎
ふっくらとした落ち鮎
鮎の甘露煮
鮎の甘露煮
鮎の天日干し
鮎の天日干し

 その川藻も、よどんだ流れの栄養分の高い青いアカではなく、清流の栄養分の低い黒いアカがいいとされている。

 うるかは酒通には絶好の肴。

 うるかをつくるのはオン(オス)でもメン(メス)でもいいという。腹を割って、はらわたをとり出す。ていねいにうるかをつくる人は、はらわたのなかからフンだけをとって捨てている。

 とり出したはらわたをびんにつめて塩づけにするのだが、それを毎日、箸でかきまぜる。半月ほど漬けると出来上がる。うるかは薬にもなるとのことで、腫れものの吸出しにはよく効くという。

 9月に入ると、卵をはらんだ鮎は落ち鮎となって、どんどん吉野川を下っていく。上流では日一日と、鮎が少なくなっていく季節だ。

 鮎の卵は粟粒のようなもので、アコと呼ばれている。精子は白っぽく、シラコと呼ばれている。ともに酢の物にして食べられているが、酢漬けにして保存食にもする。

 落ち鮎は若鮎とは違って芳香が消え、味も落ちる。しかし、成熟した身にはそれなりのうま味があり、落ち鮎を好む人もいる。

 大量にとれた落ち鮎は保存食にもする。醤油に味醂、砂糖、酒を混ぜてあめ炊きにして甘露煮にしたり、日干しにしたり、塩漬けにする。

 塩漬けにする時は、鮎を背割にして臓物をとり出し、それをかめに詰めて塩漬けにする。食べる時に塩抜きをするが、水の中に柿の葉を入れておくと、塩がよく抜けるという。これなどもまさに生活の知恵だ。

 塩蔵した鮎からは鮎ずしをつくる。塩抜きをした鮎にすし飯を押しつける。

 とれたばかりの鮎から鮎ずしをつくることもある。その時は鮎を腹割りにして、中に濃い目の塩を詰め、3、4時間ほどたったところで塩を洗い流し、さらに1時間ほど酢に漬けて締める。それにすし飯をつめ込んだり、握ったすし飯の上にのせたりして、鮎の形をそのまま残した姿ずしにするという。