賀曽利隆の観文研時代[92]

讃岐うどん(4)

1986年

 高松駅から予算本線で西に向かう。列車は広々とした讃岐平野を走る。坂出、丸亀、多度津で途中下車し、町を歩き、「讃岐うどん」を食べ歩いた。

 讃岐人は、「うどんは西讃に限る」とよくいう。

 讃岐は高松を中心とした東讃(とうさん)と坂出、丸亀、多度津などを中心とする西讃(せいさん)に分かれる。

 東讃はほぼ旧高松藩領で、西讃は旧丸亀藩領になる。そのような東讃と西讃の対抗意識もあって、「西讃のうどんは東讃のうどんよりもうまい」になるのだろうが、たしかに高松よりも西讃のうどんの方がうまく感じられた。

「讃岐うどん」の食べ歩きの最後は琴平だ。

 琴平に着いて最初に行ったところは満濃池。空海によってつくられた溜池は周囲20キロの大人造湖で、金倉川の源をなし、金倉川と土器(とき)川流域の4600ヘクタールを灌漑している。このエリアが日本のうどん発祥の地といわれている。

 日本にうどんをもたらしたのも空海で、延暦23年(804年)に遣唐使船で唐に渡り、1年あまり唐の都の長安に滞在した。大同元年(806年)に帰国したが、その時に持ち帰ったうどん粉で饂飩(うどん)をつくった。

 しかしそれはうどん粉で皮をつくり、中にあんを入れたもので、今でいえば饂飩(わんたん)になる。わんたんがいつしかうどんに変わった。

 中国の華北から旧満州にかけての小麦の粉食地帯で麺を食べ歩いたことがあるが、「饂飩」の看板を掲げた店にも何度か入った。「饂飩店」で出てくるのはわんたん。中国ではわんたんも含めて麺といっている。

 日本では1000年以上に渡ってわんたんとうどんを混同し、漢字で書くといまだに饂飩のままである。何ともおもしろいうどんにまつわる話ではないか。

 満濃池から琴平までは広々とした平野の中を歩いた。この一帯ではかつては夏は稲、冬は麦と二毛作がおこなわれた。この平野で産する小麦が讃岐うどんの原料になっていた。

 この地方の人たちは盆や正月、祭りと、なにかにつけてうどんを打つ。大晦日にはうどんを食べる、正月の三が日はうどんを食べるという地域もある。

 4月の終わりから5月にかけて、初サワラ一本を持たせて嫁を里帰りさせる習慣もある。そのあとの5月から6月にかけては麦刈りと田植えが重なり、一年で一番忙しい時期になるからだ。その前に骨休みをさせるという意味がある。

 麦刈りが終わり、田植えが終わった半夏生の頃は、誰もがホッと一息つける時期。

「だれがなんというても半夏にゃうどん」
 といわれるように、初製粉したうどん粉を使って、どの家でもうどんを打った。そしてうどんを食べて、麦の収穫を祝った。

 香川県には「うどんの日」があるが、それが半夏生(夏至から11日目)の日だ。

 かつて金倉川や土器川には、収穫した小麦を搗いて粉にする水車がズラリと並んでいたという。半夏生の頃は、そんな水車が休みなくまわっていたという。

 琴平に戻ると、次に国道32号沿いにあるうどん屋の「水車」に行く。水車は琴平の町から離れたところにあるが、うどんにうるさい讃岐人が、わざわざ遠方からやってくるほどの評判の店だ。
 
  かけうどん  200円
  湯だめ    300円
  釜あげうどん 300円
  きつねうどん 300円
  わかめうどん 300円
  冷やしうどん 350円
  ざるうどん  400円
  しっぽくうどん400円
  天ぷらうどん 500円
  天釜うどん  700円
  肉うどん   700円
  天ざるうどん 800円

 以上が水車のメニューである(1986年当時)。

 ぼくはそのうち「釜あげうどん」と「しっぽくうどん」を食べた。

 釜あげうどんはゆであげたうどんをそのまま湯とともに桶に入れたもの。それを薬味のネギ、ショウガ、ゴマの入った汁につけて食べる。

 しっぽくうどんはニンジン、カボチャ、ナス、鶏肉、油揚げの入った煮込みうどん。

 水車のうどんは無漂泊の地粉(讃岐産)を使っているので、色は若干、黒ずんでいるが、腰が強い。

 店主の谷文雄さんは、うどんは生木を折るような、そばは枯木を折るよな腰の強さがいいとうまい表現をされたが、水車のうどんにはまさに生木を折るような、しなやかな強さがあった。

 その秘密は谷さんの話を聞いてよくわかった。

「讃岐うどんのつくり方」
「讃岐うどんのつくり方」

「私はうどんの原料にこだわっています。讃岐うどんというのは讃岐の麦を使ってつくり、讃岐で食べて、はじめて讃岐うどんになるのですね」

 谷さんは近郷近在の農家でとれた小麦をかたくなまでに使っている。

 そのような讃岐産の小麦粉をこね、足で踏みつけて粘り気を出す。踏めば踏むほど粘り気は増すという。それを打ち板にのせ、丹念に麺棒で延ばす。

 谷さんのうどんづくりを見せてもらったが、一動作、一動作は昔から伝わる「讃岐うどんのつくり方」の図と同じようなやり方だし、「うまい讃岐うどんをつくる!」といった情熱が伝わってくる。

金毘羅名物の讃岐うどん
金毘羅名物の讃岐うどん

 琴平の町に戻ると、最後に金毘羅さんをお参りする。参道を歩いていると、金毘羅さんのお土産に讃岐うどんを買う人を多くみかける。「こんぴらうどん」の店に入り、讃岐うどんを食べ、金毘羅さんへの石段を登り始める。

 1000段を超える石段を登って本宮に到達。本宮を参拝したあと、展望台に立つ。

 そこからの眺めは絶景だ。青々とした稲田が一面に広がっている。その中に点々とある溜池は夏の日差しを浴びてキラキラ光っている。平野にスーッとそそり立つ讃岐富士の姿は印象的で目に残った。

「今度は麦秋の季節にこの風景を見てみたい!」
 という思いを抱いて琴平から高松に戻るのだった。