賀曽利隆の観文研時代[85]

魚沼の鮭と鮎と山菜料理(2)

1986年

 魚沼の春はいちどにやってくる。

 雪が消える5月の上旬になると、山椿の赤い花や白いコブシの花が山を彩り、カタクリの紫色の花が咲く。

 村人たちは山菜採りに山に出かける。

 ゼンマイ、ワラビ、コゴミ、キノメ、ウド、ウルイなどを採る。とくにゼンマイ採りが盛んだ。

 夜明けとともに山に入り、日陰の、清水が湧き出ていたり、谷川が流れているようなところのゼンマイを摘む。日向のゼンマイはかたくて細い。それにひきかえ、日陰のゼンマイはやわらかくて太い。

 10センチほどに伸びたゼンマイを手で積み、それをタス(背負うことのできるわら袋)に入れ、タスがいっぱいになると背負って帰る。

 家に戻るとすぐに大きな笊(ざる)に入れ、口に水をふくんで霧状に吹き付ける。そしてゴミをとり除き、根や茎のかたい部分をとり、ゼンマイのワタ帽子をとる。それを大鍋でゆでる。ここまでが朝飯前の仕事だ。

 ゼンマイのワタはこの地方でつくられるきらびやかな色彩の手まりの芯にする。弾力があり、よくはずむ。

 ゆであげたゼンマイは莚(むしろ)に広げ、天日で干す。それがまだ乾ききらないうちに、よくもみほぐす。もめばもむほどゼンマイはやわらかくなる。2、3日、天日に干すと食べられるようになる。

 乾燥させたゼンマイは長期間、保存できる。使う時に湯に戻し、2、3度水をかえてゆでると、ふっくらとしてくる。それを料理に使う。

魚沼の「ゼンマイにもん」(ゼンマイの煮もの)
魚沼の「ゼンマイにもん」(ゼンマイの煮もの)

 ゼンマイ料理の代表的なものは「ゼンマイにもん」(ゼンマイの煮もの)。ダイコンやサトイモ、ニンジン、サヤインゲン、シイタケ、こんにゃく、厚揚げ、車麩、身欠きニシンなどとともに醤油で煮込む。

 やわらかく煮上がったゼンマイは、ほかの具の味をたっぷりと吸い込んでいるので絶妙の味わい。そのほか油で炒め、砂糖醤油で味つけするきんぴらや、豆腐をからめた白あえにする。

 煮ものにはワラビも使う。ワラビはアクが強いので、灰汁でゆで、さらに流れ水にさらしてアクを抜く。ワラビの煮ものがゼンマイと違うのは、ワラビはほかのものの味を吸収するのではなく、ほかのものにその味が移っていくことだ。ワラビはやはりおひたしにして食べるのがうまい。

 コゴミは胡麻あえにし、キノメやウルイはおひたしにする。ぼくはキノメのおひたしが好きだ。魚沼でキノメというのはアケビの新芽のことで、雪を割って出てくるキノメはやわらかく、おひたしにして食べると、口の中いっぱいにさわやかなホロ苦さが広がる。

 ウドは水にひたしてアクを抜いたものを酢味噌で食べたり、胡麻あえやきんぴらにする。

 タケノコもとる。といってもマダケやモウソウのタケノコではなく、ネマガリ(ヤマダケ)のタケノコで、ゼンマイ煮ものの中に入れることが多い。

 家のまわりでは、雪どけとともにフキノトウやセリ、フキ、ツクシ、アサズキなどの野草を摘む。

 フキノトウはゆでたものをすり鉢ですり、味噌であえる。天ぷらにもする。セリはおひたしにしたり、三杯酢や天ぷらにする。フキは煮ものにする。ツクシはおひたしにする。アサズキは地中の膨らんだ茎を食用にしているが、味噌をつけて生食したり、塩漬けにする。

 草餅にするヨモギを摘むのもこの季節。餅とはいっても、糯米を蒸して搗いた餅ではなく、米粉を練り固めて蒸した餅である。

 摘んできたヨモギは、ゆでてからこね鉢で搗く。それを粳米と糯米の米粉を混ぜて練り固めて蒸した餅の中に入れ、もう一度蒸しなおす。

 蒸し上がったところで、それを円板に形づくり、上にあんこをのせ、ふたつに折って半月形にする。そのような草餅を「ツキガエシ」と呼んでいる。それは「しんがつよーか」(5月8日)につくるものと決まっている。

 それ以外にも草餅をつくることがある。間食として食べるものだが、そのときは糯米は使わない。粳米、それもくず米を使う。そのような草餅を「ヤクモチ」と呼んでいる。ヤクモチはねばりけがない分だけ、ツキガエシと比べると味は落ちる。中に入れるあんも、かつては塩あんが一般的だったという。

 半夏生(夏至から11日目)には、笹団子やチマキをつくる。笹団子にもヨモギを使う。ヨモギはゆでたものを十分に天日で干せば、長期間、保存がきく。じつに優れた保存食なのである。