岡崎の八丁みそ(1)
1986年
愛知県の岡崎市は、徳川家康の故郷としてよく知られている。「家康ブーム」も手伝って、家康誕生の地、岡崎城には大勢の観光客がやってくる。
岡崎には2つの名物がある。
「石都岡崎」といわれるように、良質の岡崎産の花崗岩を使った石燈籠(岡崎燈籠)などが日本中に出荷されている。
もうひとつは、同じくその名を知られた「八丁みそ」。今回(1986年)の取材対象は八丁みそである。
さて、岡崎だ。
東海道線の岡崎駅に降り立ったときは、とまどってしまった。駅が町の中心からずいぶんと離れているからだ。他の城下町、たとえば会津若松とか金沢、萩などと同じように鉄道開通時、新しい文明・文化への拒絶反応が大きく、そのために中心街に鉄道を通すことができなかったのだろう。岡崎にはもう1本、名鉄が通っているが、名鉄の東岡崎駅が町の玄関口になっている。
岡崎では真っ先に岡崎城の岡崎公園に行った。ここは桜や藤の名所で、公園全体が濃い緑につつまれている。
岡崎城の入口には、
「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し いそぐべからず 不自由を常と思へばふそくなし こころに望み起こらば困窮したるときを思い出すべし」
で始まる家康の遺訓碑が、亀の石像の上に建っている。
さすが石都岡崎、遺訓碑は見事な花崗岩でつくられている。
岡崎城の天守閣に登る。そこからの眺めは絶景だ。
東に目を向けると、岡崎の中心街の向こうにゆるく波打つ三河の山々を眺め、西に目を向けると、矢作川が春の日射しを浴びて光っている。その向こうには濃尾平野へとつづく平野が漠として広がっている。
山地と平野。
岡崎は両者の接点であり、岡崎を境にして、風景は大きく変わる。
岡崎は城下町であるのとともに、東海道の主要な宿場なので、宿場町としての機能をも合わせ持っている。
岡崎城ができたのは15世紀。大永4年(1524年)には家康の祖父、松平清康がこの地に入り、岡崎城を居城にした。その頃から岡崎は目に見えて発展しはじめ、東海道では駿府(今の静岡)に次ぐほどの賑わいをみせるようになった。
家康は岡崎から浜松、駿府と城を移していったが、日本の大動脈となる東海道の要衝の地を押さえつづけた。
徳川家康以上の実力者と目された甲斐の武田信玄や越後の上杉謙信がついに取ることのできなかった「天下」。それを三河の家康が手中に入れることができたのは、絶えず東海道と結びついていたことがきわめて大きい。