第2弾 茅場町駅~月島駅
富岡八幡宮を歩く
深川不動尊から参道を歩いて永代通りに戻ると、次に深川のシンボル的な存在の富岡八幡宮へ。ここの深川祭は神田明神の神田祭、日枝神社の山王祭と並んで「江戸の三大祭」の一つ。「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」といわれている。
富岡八幡宮は永代通りから左に入ったところにある。
正面参道の鳥居をくぐった左手には、伊能忠敬の像が建っている。
伊能忠敬といえば、近代日本地図の祖。下総の佐原の家業を成功させ、50歳の時に江戸に出てきた。そして富岡八幡宮近くの黒江町(現門前仲町1丁目)に住み、地図作りの測量の勉強をした。
伊能忠敬は寛政12年(1800年)4月19日、富岡八幡宮に参拝して蝦夷地(北海道)測量の旅に出た。忠敬はこの時を含めて10回の測量の旅を企画したが、旅立ちのたびに富岡八幡宮に参拝し、旅の安全を祈願したという。
富岡八幡宮は大相撲発祥の地といってもいい。江戸時代の中期に境内で勧進相撲が開催された。それに因んで境内には「横綱力士碑」がある。その両側には陣内・不知火両力士の土俵姿を彫り込んだ石塔が建っている。「大関力士碑」や「超50連勝力士碑」もある。
勧進相撲はその後、両国の回向院の境内でおこなわれるようになり、常設の国技館ができた。国技館はその後、日大講堂になったが、1983年に解体され、その跡地は今、「両国シティコア」になっている。