日本16端紀行[06]

2019年9月17日

四国最南端「足摺岬」

 愛媛県から国道56号で高知県に入り、14時45分、宿毛に到着。土佐くろしお鉄道終点の宿毛駅前でVストローム250を止めた。

 宿毛からは海沿いの国道321号を行く。

 太平洋を見ながら絶景路を走り、15時45分、土佐清水に到着。ここから四国最南端の足摺岬に向かう。

 土佐清水からは海沿いの県道27号を行く。今ではこの県道27号が足摺岬へのメインルートになっている。中浜、大浜、松尾と通っていくが、この一帯は昔からカツオ漁の盛んな漁村だった。

 土佐のカツオ漁は文禄年間(1592年〜96年)に紀州・印南の漁民たちがカツオ節の製法とともに、この地にもたらしたといわれている。

 足摺岬に到着すると、まずは四国霊場八十八ヵ所第38番札所、金剛福寺を参拝。白装束のお遍路さんたちと一緒になってお参りした。足摺岬は空海修行の地といい伝えられ、金剛福寺も弘仁14年(823年)、空海によって創建された。

 足摺岬は補陀落渡海の地として知られている。

 補陀落は天竺の観音の住む極楽浄土で、足摺岬はその入口だと考えられていた。観音浄土を求めて往生をとげようと、西の海へ、船出していった補陀落渡海の僧たちがいた。

 足摺岬の遊歩道の入口には、ジョン万次郎の大きな銅像が建っている。さきほど通った中浜の漁民の次男に生まれた万次郎は14歳の時、乗った漁船が難破し、漂流しているところをアメリカの捕鯨船に助けられた。

 船長は万次郎をアメリカに連れていき、アメリカの学校で学ばせた。24歳になって帰国した万次郎は幕府の直参になり、得意の英語で、幕末の日本外交に貢献した。万延元年(1860年)の咸臨丸での渡米にも同行した。

 足摺岬の遊歩道を歩く。

「オーシンツクツク、オーシンツクツク」と蝉が鳴いている。覆いかぶるヤブツバキのトンネルを抜け、岬の先端に出ると、白亜の灯台。高さ80メートルほどの断崖に立つと、足がすくんでしまうほどだ。目の前には黒潮の海が広がっている。太平洋の荒波は断崖絶壁にぶち当り、砕け散り、白い波しぶきを巻き上げている。

 足摺岬から土佐清水に戻ると、国道321号で中村(四万十市)へ。日本の清流、四万十川の流れを右手に見る。中村到着は17時45分。中村からは国道56号を行く。

 窪川(四万十町)の四万十町中央ICで高知道に入り、ナイトランで高松を目指す。

 南国SAで止まる。時間はまだ19時30分だったが、SAのガソリンスタンドはすでに閉まっていた。レストランは営業していたので、「藁焼きカツオたたき定食」を食べた。カツオのたたきを食べると、「今、高知にいる!」と強く実感する。

 愛媛県に入り、川之江東JCT、川之江JCT経由で高松道に入る。

 高松道で香川県へ。高松西ICで高速を降り、21時45分、高松駅前に到着。

 雲仙の小浜温泉から824キロを走り、高松の「東横イン」に泊まった。