2011年5月29日
台湾の京都
2011年5月29日。台南の夜明け。「グランドホテル」6階の部屋から明けゆく町並みを眺めた。台南は北回帰線以南で熱帯圏になる。
台北、高雄、台中に次ぐ台湾第4の都市だが、「台湾の京都」といわれるほどの古都。オランダ統治時代の1624年、この地に政庁が置かれて以降、鄭成功がオランダ軍を撃退後も、200年以上に渡って台湾の首都として繁栄した。市内には200を超える寺廟や史跡がある。
さっそく夜明けの町歩きを開始。「グランドホテル」前の国道1号(中正北路)を歩く。街角の屋台は早朝からやっている。ここで食べたり、買っていく人たちが次々にやってくる。
国道1号から裏道に入っていく。
眠りから覚めたばかりの台南の町だが、朝食専門の食堂は賑わっている。朝からしっかりと食べる台湾人を象徴するかのような光景だ。
こうして1時間ほどプラプラ歩き、「グランドホテル」に戻ると朝食だ。朝食はバイキング。歩いたあとのマンゴージュースがうまい。そのあと朝粥とサラダ、パンと目玉焼き、ハム、ソーセージ、豚肉、炒青菜、野菜炒めを食べ、最後はヨーグルトとフルーツという朝食だ。
「グランドホテル」を出発。台南の中心街を走り抜け、赤嵌楼へ。台湾最古の建築物の赤嵌楼は、もともとは台湾南部を支配したオランダ人によって1653年に建てられた城。当時はプロデンシャ城(紅毛楼)と呼ばれ、植民地支配の中心になっていた。
1661年に鄭成功がオランダ軍を撃退した後、ここは「承天府」に変わり、台湾の政治の中心になった。
その後、1862年の大地震で建物は全壊したが、1879年には「文昌閣」と「海神廟」が赤嵌楼の基台の上に建てられた。
赤嵌楼前の庭園には「鄭成功義和団」像が建っている。台湾の英雄、鄭成功(1624年〜1662年)は、後の中国の歴史にも大きな影響を与える結社、義和団の創始者でもある。
鄭成功の父親は福建省泉州の人。前回の「台湾一周」でも触れたことだが、長崎の平戸で商売をしているときに地元、平戸藩士の娘をめとり、2子をもうけた。そのうちの長男が鄭成功で母親は日本人。
鄭成功は7歳のときに初めて祖国に渡り、成長してから文武両道を極めると、風前の灯火の明朝を護るために清朝軍と戦った。その功績で1658年、34歳のときに延平郡王になった。
1659年、金陵(南京)を攻めたが清軍に大敗。すぐさま台湾攻略の計画をたて、1661年、2万5000兵と1200隻の軍船という大軍をひきいてオランダの拠点のプロビデンシャ城とゼーランディア城を攻撃し、陥落させた。
オランダ勢を追放した鄭成功は、中国の福建、広東両省から台湾への積極的な移住をすすめ、富国強兵に勤め、台湾を拠点にして大陸への反攻を目指した。
清を滅亡させ明を復興させるという「滅清復明」の大志を貫き通したが、その翌年、惜しくも病死。一代の風雲児は39歳の若さでその生涯を終えた。この年、明は完全に滅び去った。
赤嵌楼を見学する。今は資料館になっているが、館内には鄭成功のブロンズ像。それには「民族英雄」と記されている。中国船の模型も展示されている。「四海龍王」の絵に目がいく。龍は台湾の守護神。つづいて学問所の「文昌閣」を見学した。
台南の赤嵌楼の見学を終えると、「冬瓜茶」の店で小休止。ここは人気の店で有名人もよくやってくるという。
冬瓜といえば料理やスープに使われるが、台湾では砂糖を加えて水で煮る「冬瓜茶」がよく飲まれる。「缶冬瓜茶」があるほど。さっぱりした甘さの冬瓜茶を飲むと、体がスーッと楽になる。
「冬瓜茶」の店には、次々にライダーがやってきた。その中にはタンデムライダーもいる。ヘルメットにビデオカメラをとりつけたライダーもいる。その数は10人以上。みなさん、一緒に高雄まで走りたいという。
「どうぞ、どうぞ!」
台南を出発。TEKKENを走らせ、国道1号で台湾第2の都市、高雄へ。南国の強い日差しを浴びながら走った。台南から高雄までは50キロ。1時間半ほどで到着だ。
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