2010年6月21日

世界に類を見ない絶壁海岸線

 太櫓閣を出発。国道9号で宜蘭に向かっていく。清水を過ぎると、「台湾版・親不知」といった清水断崖に入っていく。切り立った山並みがストンと海に落ち、断崖絶壁を貫くトンネルが連続する。ここも太櫓閣峡谷とともに「太櫓閣国家公園(ナショナルパーク)」に指定されている。

 海岸から4キロの地点に標高2407メートルの清水山が聳えている。日本だと鳥海山(2236m)が海岸に近い高峰だが、それでも15キロほどはある。親不知は海岸から4キロの地点に北アルプス最北の尻高山があるが、標高は677メートル。世界に目を向けるとアンデスの山並みは海岸に近いが、太平洋から4キロの地点にこれほどの高峰はない。ということで、清水山は海岸に最も近い高峰になるのではないか。

 清水山の北西には、中央山脈では最北となる南湖大山(3740m)と南湖北山(3535m)が聳えている。台湾は日本以上の山国で、最高峰の玉山(3952m)を筆頭にして3000m峰は133峰を数える。ちなみに日本で3000m峰というと9峰でしかない。
「日本一周」で沖縄の与那国島に渡ったとき、日本最西端の西崎に立った。残念ながら水平線上に台湾は見えなかったが、地元の人の話によると、年に数回は見えるという。西崎から台湾までは100キロほどだ。

「ここからだと新高山(玉山のこと)が、こんなに大きく見えますよ!」

 といって、両手を広げて説明してくれた人の話は忘れられない。その人によると、台湾山脈の3000m峰が水平線上にズラズラズラッと連なる眺めは島ではなく、まるで大陸のようだという。

 清水断崖を走り抜け、南澳の町に到着。南澳駅前でアドレスV125Gを止め、駅前食堂でカキ氷を食べた。それにしても清水断崖はすごい風景だった。

 南澳から国道9号を北へ。アドレスを走らせ、蘇澳を目指す。その途中では太平洋の浜辺に出た。丸みを帯びた小石が一面に敷詰められたような海岸だ。

 蘇澳に近づくと天気は急変し、あっというまに黒雲が空を覆い、やがてザーッと雨が降ってくる。「台湾一周」で台北を出発して以来、初めての雨。ずぶ濡れになって蘇澳の町に到着。台湾ではこの町が日本に一番、近い。

 蘇澳には蘇澳港と南方澳港の2つの港があるが、漁港の南方澳港の岸壁でアドレスを止めた。漁港は漁船でびっしりと埋め尽くされていた。

 南方澳港の前にある南天宮を参拝。ここには媽姐がまつられている。

 南天宮は3階建。1階にも2階にも3階にも媽姐像がまつられている。2階の媽姐像は玉、3階の媽姐像はまぶしいばかりの金。

 南天宮を参拝しながら、ここまでの「台湾一周」での寺院めぐりを振り返ってみた。

 台北に着いた翌朝は、地下鉄に乗って観音をまつる龍山寺を参拝。そこには媽姐もまつられていた。つづいて媽姐をまつる西門の天后宮を参拝した。

「台湾一周」の出発前には董事長の黄さんをはじめとする台鈴工業のみなさんと一緒に行天宮に行き、旅の安全の祈願をした。行天宮の主神は「三国志」の英雄、関羽。そのほか劉備、張飛、孔明、岳飛をまつっている。

 新竹では町の鎮守の城煌廟を参拝。ここでは城煌爺をまつっている。

 台中に近い大甲では鎮蘭宮を参拝。ここでは媽姐をまつっている。

 北港では朝天宮を参拝。ここは「北港媽姐」とも呼ばれているが、台湾全土に数多くある媽姐廟の総本山で、台湾各地から参詣者がやってくる。旧暦3月23日の媽姐の誕生日までの7晩8日をかけておこなう進香期、それと旧暦9月9日の媽姐昇天の日は大変な数の参詣者がこの町に押し寄せるという。

 台南では天后宮を参拝。ここも媽姐をまつっている。

 こうしてみると、台湾では媽姐をまつる寺院が圧倒的に多いことがわかる。

 航海の女神として知られている媽姐は台湾人の尊崇を一身に集め、航海の女神にとどまらず、まるでアラーのような全知全能の神になっている。

 司馬遼太郎氏の『街道をゆく』は我が愛読書だが、第40巻目の「台湾紀行」には台北の老人の言葉として次のようなくだりが出ている。

「台湾は観音様と媽姐様によってまもられています」

 台湾では仏教は衰退してしまったが、その中にあって、観音信仰だけは今でも盛んだ。

 さらに司馬さんは次のようにつづけている。

「むかしむかし、福建省の甫田に林という人がいた。その第6女が機織をしていると、魂がぬけ出して海上で遭難しかけている父を救った、という。父のかたわらで兄も溺れかけていた。兄を救おうとしたところ、母が不審に思って彼女を呼び醒ました。遊魂は彼女の体にもどり、このため兄は溺れた。後に成道し、天へ飛昇したのが、媽姐である」

 このように媽姐は実在の女性なのである。

 長崎には長崎最古の唐寺の興福寺のほかに、崇福寺、聖福寺の「唐三ヵ寺」がある。これらの唐寺には媽姐をまつる媽姐堂がある。唐の船主たちが、航海の安全を祈願してまつったものだという。そこには媽姐を守護する順風耳と千里眼の2神も まつられている。

「順風耳」は大きな耳が特徴。あらゆる悪の兆候や悪巧みを聞き分けて、いち早く媽祖に知らせる役目を持っている。

「千里眼」は3つの目が特徴。媽祖の進む先やその回りを監視し、あらゆる災害から媽祖を守る役目を持っている。

 横浜の中華街にも関帝廟のほかに媽姐廟もあるが、興味深いのは日本にも各地に媽姐信仰が伝わっていることだ。その一例だが、台湾からはるかに遠い下北半島北端の大間にある大間稲荷神社だ。ここは媽祖をまつっている。大間稲荷神社の由来によると、もともとは百滝稲荷といっていたようだ。

 明治6年(1873年)に天妃媽祖大権現と金毘羅大権現を合祀、現在は弁天神(奥津島姫尊)も合祀している、とある。この天妃媽祖大権現とあるのが媽祖のことである。

 元禄9年(1697年)7月23日、後に名主となる伊藤五左衛門が海上で遭難したときに助けられた神徳を崇め、水戸藩領那珂湊の天妃山媽祖権現をこの地に分霊したものだという。それ以来、船魂神として多くの漁民たちの厚い信仰を集めているという。

 南天宮の参拝を終えると、蘇澳を出発。国道9号で宜蘭に向かう。雨に濡れながらアドレスを走らせる。

 宜蘭平野の中心地、宜蘭に到着すると、スズキの販売店を訪問。販売店の社長夫妻には大歓迎され、たくさんの贈り物をいただいた。

 地元のライダーのみなさんも、雨にも負けずバイクに乗って来てくれた。ここでも若いライダーが大半だ。その中の1人は、何とカソリ本を5冊、持ってきてくれた。

『50ccバイク日本一周2万キロ』(JTB)、『旅の鉄人カソリの激走30年』(JTB)、『バイクで駆ける韓国3000キロ』(JTB)、『中年ライダーのすすめ』(平凡社)、『オフロード・ライダー』(晶文社)の5冊で、それぞれに「生涯旅人!」のサインをした。

 宜蘭のスズキ販売店の社長夫妻やライダーのみなさんの見送りを受け、夕暮れの宜蘭を出発。礁渓温泉のある礁渓の食堂で夕食。この店の名物は蒸した鶏。それをメインに、全部で8品がテーブルに並んだ。時間をかけてゆっくり食べる。

 夕食を終えると今晩の宿の「礁渓館」へ。部屋に入るとすぐに湯船に湯を入れ、無色透明無味無臭の温泉につかった。

 湯から上がると、テレビでワールドカップの中継を見る。Aグループの南アフリカ対フランスの試合はまさかの結末で、フランスは2対1で南アフリカに破れた。これでAグループの最下位が決まり、グループリーグでの敗退が決まってしまった。信じられないような出来事だ。