2010年6月19日

日本が好き、心やさしい台湾人!

 2010年6月19日5時、早朝の台中の町歩きを開始する。

 泊ったホテル「文華道会館」の隣りはバイク店。キムコの看板がかかっている。「キムコ(光陽機車)」は台湾最大の2輪車メーカー。キムコにSYM(三陽機車)、スズキ、ヤマハがつづいている。

「文華道会館」前の道の両側には、びっしりと、すきまなくスクーターが止められている。それは「スクーター大国」の台湾を象徴するかのような光景。頑丈なロックをかけたスクーターは、ほとんど見かけない。このあたりにも台湾の治安の良さが見てとれた。

 商店街に入っていくと食堂が目につく。「拉麺」の看板をかかげた店を見る。「拉麺(ラーメン)」といっても日本風のラーメンのことではなく、手延べ麺のこと。店頭にメニューをかかげた店が多い。

 台中の町を1時間ほど歩いて「文華道会館」に戻ると、レストランで李さんら台鈴のみなさんと一緒に朝食を食べる。食べ終えると出発。李さんは「チャヨチャヨチャヨ!(さー、がんばって行こう!」と、台鈴のサポート隊のみなさんに声をかけて励ました。

 台中の町中のガソリンスタンドで給油していると、昨夜のスズキ販売店のイベントに来てくれたDR−Z400SMのライダーとブルーのアドレスのライダー、2人が来てくれた。「台南までカソリさんと一緒に走りたい!」ということなので、「どうぞ、どうぞ!」と言うと2人は喜んだ。

 アドレスV125Gを走らせ南へ。台中を出ると広々とした台湾平野が広がる。左手の台湾山脈は遥かに遠く、青く霞んで見える。

 大肝渓を渡り、彰化の町に入っていく。

 彰化ではスズキの販売店を訪問。店内には何枚もの手書きの「賀曽利隆先生、歓迎!」のポスターが貼られていた。お茶を飲み、特産のピーナツを食べながら、社長としばしの歓談。心やさしい台湾人!

 台湾のみなさんは日本が好きだ。世界中でこれほど日本が好きだといってくれる国はない。日本はもっと、もっと台湾との結びつきを強くし、台湾を大事にしなくてはいけないと強くそう思うのだった。

 彰化から南へ、濁水渓にかかる西螺大橋を渡る。この橋は日本時代に造られたもので、台湾の文化遺産になっている。

 西螺大橋を渡り、西螺の町に入っていく。ここでもスズキの販売店を訪問。社長と社長の奥様、お店のみなさんには歓迎され、スイカをご馳走になった。

 西螺を過ぎたところでは、「雲林布袋戯館」を見学。この建物も日本時代のもの。伝統の人形劇の資料が展示されている。その一室では、実際に人形を作っている。台湾文化の一端に触れることのできる「雲林布袋戯館」だ。

「雲林布袋戯館」を出発し、南へ。日差しがより強くなり、気温がさらに上がる。アドレスで切る風は熱風をかきまぜているかのようだ。

 北港のスズキの販売店を訪問。そこでは冷たいフルーツジュースを出してくれた。ありがたい。あまりのうまさにもう1杯、おかわりをもらった。気温は30度をはるかに超えている。この北港のスズキ販売店では名産の落花生を贈られた。

 北港の町の中心にある朝天宮を参拝する。ここは「北港媽姐」と呼ばれているが、1694年に建立された。先にもふれたことだが、「媽姐信仰」は台湾では絶大で、その中でもとくにこの朝天宮は台湾全土に数多くある媽姐廟の総本山で、台湾各地から参詣者がやってくる。

 旧暦3月23日の媽姐の誕生日までの7晩8日をかけておこなう進香期、それと旧暦9月9日の媽姐昇天の日は大変な数の参詣者がこの町に押し寄せるという。

 媽姐像だが、その両脇は千里眼と順風耳、2体の像で護られている。そのほか媽姐の分身像7体もまつられている。本尊のみならず、それら分身像などにもお線香を上げていく。運よくというか、この日はちょうど朝天宮の祭りで、参拝を終えた頃、祭りの行列が朝天宮前にやって来た。しばらくは朝天宮前で祭りの光景を眺めるのだった。