能登半島を行く[59]

2024年5月15日 – 17日

能登町に入る

 穴水町の「ファミリーマート」で朝食にする。辛子明太子と紅しゃけのおにぎりを食べて出発。国道249号で穴水町の中居へ。ここには「中居鋳物館」があるが休館中。中居の集落内に入り、神杉伊豆牟比咩(かみすぎいづむひめ)神社を参拝した。鳥居は崩れ落ち、神社の境内にある「かみすぎ保育園」も休園中。中居は大きな被害を受けた。

 中居を過ぎたところで国道249号から海沿いの県道34号に入っていく。

 穴水町甲の加夫刀比古(かぶとひこ)神社に到着。ここも鳥居は崩れ落ちていた。258段の石段を登って参拝。拝殿は残っている。

 県道34号で能登町に入る。すぐに国道249号に合流し、藤波の神目(かんのめ)神社へ。鳥居は無事だったが、拝殿は傾いていた。

 藤波から能登町の中心地、牛出津(うしつ)へ。牛出津漁港でVストローム250を止めた。漁港の岸壁の段差はそのまま残っている。

 牛出津漁港は古い歴史を持っている。漁港の前に立つ案内板には、次のように書かれている。

 元和3年(1617年)、前田利家が幕府に対して良港として紹介しており、「能登名跡誌」には「能登一の良港なり」と記されています。

 また、能都町(平成の合併以前の町名)における漁業の歴史は日本漁業の縮図とされ、明治政府は明治18年(1885年)の漁業法の設定に先立ち、当地の慣習法を調査しています。そして現在の水産高校につながる漁業教育機関を東京に次いで全国で二番目に設置し、その重要性に着眼したほどでした。

 牛出津港はこのような背景のもと、能登漁業の中心地として栄えてきました。初めは簡単な仕掛けの定置網漁が盛んでしたが、現在では大規模な大敷網漁が行われています。水揚げされる海の幸では12月のブリ、3~4月のサバ、5月~6月のマグロが有名です。

 能登町の中心地、牛出津を出発。国道249号で能登町北部の松波へ。そこから南の布浦の集落に入っていった。加志波良比古(かしはらひこ)神社を探しまわったが、みつけられない。赤崎海岸の赤崎灯台まで行ったところで断念した。何とも残念。松波に戻ると、能登町から珠洲市に入った。