第2回目(1)2011年6月11日-12日

川内村は「死の村」と化していた

 第2回目の「鵜ノ子岬→尻屋崎」は、第1回目の1ヵ月後、6月11日に出発した。

 バイクはスズキのビッグボーイだ。

 午前0時を期して、神奈川県伊勢原市の自宅を出発。東名→首都高と走り、常磐道に入る。

 友部SAで真夜中のラーメンを食べ、関本PAでひと眠りし、いわき中央ICで常磐道を降りた。

 伊勢原から268キロのJRいわき駅前に到着したのは午前6時。ここから国道399号を行く。このルートは東京電力福島第1原子力発電所の爆発事故20キロ圏スレスレのところを通っているが、放射線量がきわめて高いのにもかかわらず、全線が通行可となっている。

 いわき市から川内村→田村市→葛尾村→浪江町→飯舘村と通って伊達市まで走った。

 飯舘村の状況は新聞、テレビなどの連日の報道でよく知られていたが、それ以上に惨憺たる状況なのは川内村だった。

 国道399号の狭路の峠を越えて川内村に入ると、国道沿いの店はすべてシャッターを下ろしている。信用金庫は休業中、農協も休業中、温泉施設の「かわうちの湯」も休業中。いつもの年だと田植えの終った水田の風景が見られるのだが、今年は荒れ放題の田畑が広がっている。

 大地震の被害も、大津波の被害もまったく受けていない川内村なのに、放射能汚染で「死の村」と化し、人の姿はまったく見られない。国道から原発の爆発事故20キロ圏に通じる道はすべてが通行止。村内のいたるところで「立入禁止」や「危険」の看板を見る。

 川内村から避難したみなさんは、自分たちの故郷が「危険」になってしまった悔しさをかみしめていることだろう。福島県内でも一、二の豊かな自然を誇る川内村。桃源郷のようなこの村を「死の村」にしてしまった東電には、おさえようのない憤りがこみ上げてくるのだった。