鵜ノ子岬→尻屋崎[023]

第1回目(22)2011年5月10日-20日

よこ川荘が営業を再開しましたよ

 第1回目の「鵜ノ子岬→尻屋崎」(2011年5月10日~5月21日)を終えて帰ると、鵜ノ子岬に来てくれた渡辺哲さんから、
「よこ川荘が営業を再開しましたよ」
 という連絡をもらった。

 すぐにスズキのビッグボーイを走らせ、四倉舞子温泉(いわき市)の「よこ川荘」に向かった。それは6月5日のことだった。

「よこ川荘」に到着すると、湯に入り、カツオの刺身の夕食をいただいた。

 夕食を食べ終えると、渡辺哲さんが来てくれ、缶ビールを差し入れてくれた。

 そのあと渡辺さんと一緒に「よこ川荘」のおかみさんの話を聞いた。

「大津波に襲われた若い母親は必死になって逃げたが、急に背中が軽くなったと感じたら、背負っていた赤ちゃんが流されてしまって…」

「堤防に登って津波見物をしていた人が何人か亡くなりましたよ。津波はどうせ5、60センチくらいのものだろうと多くの人はそう思っていましたからね。それが牙をむいて、あれだけの大津波が押し寄せてきたのですからね」

「真っ黒な壁となって襲いかかってきた津波はほんとうに速い。大地震のあと、すぐに逃げた人たちは助かりました」

「大津波で流されてプカプカ浮いた箪笥の中から、500万円の大金をみつけた人もいましたよ。その人は届け出たということです」

「大津波のあと、日本全国からボランティアの人たちが駆けつけ、一生懸命にやってくれました。それでずいぶんと救われ、助けられました」

 おかみさんは宿の再開に向けて新たな力を得たとのことで、自分一人で水を吸った50畳もの畳を外にかつぎ出したという。

 翌朝は夜明けとともに「よこ川荘」を出発する。

 隣りの温泉旅館の「なぎさ亭」は大きな被害を受けて休業中。海沿いの県道382号に出たところにあるペンション&レストランの「時計台」は廃業した。ここでは何度か食事をしたことがあるので胸が痛んだ。

 県道382号を南下。夏井川を渡る区間は通行止なので迂回路を行く。

 無人の荒野と化した薄磯は壊滅状態。その中で見た残骸となった消防車が痛ましい、

 薄磯と豊間を分ける塩屋崎の美空ひばりの「みだれ髪」の歌碑は無事。奇跡の歌碑だ。

 豊間も壊滅状態。大津波は防潮堤を乗り越え、豊間を飲み込んだ。

 このあといわき市内の林道を何本か走り、常磐線の久ノ浜駅まで行った。駅舎は無事に残ったが、駅前の国道6号を渡って一歩、久之浜の町に入ると、ここも壊滅状態。久之浜は大津波と大火事のダブルパンチを受けた。

 久之浜を最後に、いわき四倉ICから常磐道に入り、「鵜ノ子岬→尻屋崎」の「いわき編」を終えた。