賀曽利隆の観文研時代[115]

賀曽利隆食文化研究所(4)静岡編

『ツーリングGO!GO!』(三栄発行)2002年11月号所収

序論

 街道を風のように駆け抜けていくツーリングライダーのカソリにとって、街道と名物料理のとり合わせほど、おもしろいものはない。

 街道への興味、その土地に根づいた名物料理への興味と、両方の興味を同時に満たしてくれるからだ。

 そこでカソリ、今回は東海道に白羽の矢を立てた。東京から現代版東海道の国道1号を西へ、静岡へと向かった。

 静岡は明治以降の新しい地名。

 それ以前は甲州の中心が甲府、周防の中心が防府といった具合に、駿河の中心なので駿府といわれた。ここは駿河の国府所在地なので、東海道の宿場は府中宿。駿府、府中が静岡の古称になる

 江戸時代後期、天保14年(1843年)の駿府の戸数は3673戸、人口1万4071人。ここは当時の東海道の中では、桁違いに大きな町だった。

調査

 さー、東海道の名物料理の食べ歩きの開始だ。

 東海道の府中宿の名物は安倍川餅。安倍川を渡った次の宿場、鞠子(まりこ)宿の名物はとろろ汁。ここでは「安倍川餅」と「とろろ汁」を食べることにした。

 静岡の中心、駿府城跡から安倍川に向かって旧東海道を行く。

 安藤広重の「東海道五十三次」でも駿府では、安倍川河畔の「名物安倍川餅」の看板を掲げた茶屋が描かれている。江戸時代末の安倍川河畔には全部で8軒の茶屋があったというが、現在ではそのうち「石部屋」だけが残っている。

 旧東海道の名残をとどめる「石部屋」に入り、さっそく名物の「安倍川餅」を食べた。

 1皿500円。黄粉とあんこの餅が4個づつのっている。搗きたてのうまい餅だ。そのうちの白砂糖をまぶした黄粉餅が、もともとの安倍川餅だったという。

 慶長年間に徳川家康が井川の笹山金山を視察したときのことだ。安倍川の茶屋でひと休みすると、ある男が家康に黄粉餅を献上した。

 きっとその味がよかったからなのだろう、家康は男に餅の名前を聞いた。

 すると男は安倍川と金山の金粉に因み、
「安倍川の金な粉餅といいます」
 と答えた。

 家康はその男の機智をおおいに褒めたたえた。それ以降、安倍川餅は有名になったと、そんな話が「石部屋」でもらった安倍川餅の由来に書かれていた。

 安倍川餅が東海道の名物として定着するのは、さらにその200年後、18世紀も後半になってからのことになる。

 代官の指導のもと、駿河のこの地で、南島を除けば全国でも初の甘蔗(サトウキビ)栽培が始まった。その甘蔗からつくる砂糖をふりかけた黄粉餅は東海道を行き来する旅人たちにおおいに受け入れられ、東海道を代表する名物になった。

「石部屋」ではもう1品、ワサビ醤油につける「からみ餅」(500円)も食べた。腰の強い粘りのある餅。腹にずっしりと溜まった。

 安倍川橋で安倍川を渡り、そのまま旧東海道を行くと、丸子の町に入る。

 丸子で「まりこ」と読む。古くは鞠子と書いたので、東海道の宿場も鞠子宿になる。

 丸子の町並みを抜け出たあたりの丸子川沿いに、「とろろ汁」を名物にしている「丁字屋」がある。創業は慶長元年(1596年)というから、今から400年以上も前のことになる。昔ながらの茅葺き屋根の茶屋だ。

「梅若菜 鞠子の宿の とろろ汁」

 芭蕉の句に詠まれ、弥次さん、喜多さんの『東海道中膝栗毛』にも出てくる「丸子のとろろ汁」は、安倍川餅同様、東海道中では欠かせない名物だ。

 安藤広重の「東海道五十三次」でも、鞠子宿では「名物とろろ汁」の看板を掲げた「丁字屋」が描かれている。

「丁字屋」の「とろろ汁」は今でも人気の名物料理で、平日の昼前に入ったのにもかかわらず、店内は混んでいた。

 さっそく「丸子定食」(1380円)を頼む。すると、すぐさま名物のとろろ汁が運ばれてきた。このスピード感こそが命。お櫃に入った米7分麦3分という麦飯を茶碗によそい、その上に自然薯をすりおろし、だし汁でのばしたとろろ汁をかけ、薬味の刻みネギをふりかけて食べる。麦とろはいくらでも食べられる。スルスルッとのどを通り、腹にはいっていく。

「麦とろ8杯」

 といわれるように、麦とろはいくらでも食べられる。しかも、いくら食べても腹をこわすことはないし、腹にもたれることないのだ。

結論

 東海道の鞠子宿の次は岡部宿だが、その間には箱根峠、鈴鹿峠と並ぶ東海道の難所の宇津谷峠がひかえている。旅人たちは鞠子宿でとろろ汁をかけこむようにして食べ、パワーをつけて宇津谷峠に立ち向かっていった。

 とろろ汁の自然薯も、元々は宇津谷峠周辺の山中でとれた天然ものだった。

「丁字屋」の「とろろ汁」を食べ終わると、DJEBEL250XCを走らせ、宇津谷峠を登っていく。

 ここはまさに峠のトンネルの展覧会場。

 明治、大正、昭和、平成と時代ごとの峠のトンネルがある。明治9年に完成した明治トンネルは日本最初の有料トンネル。大正トンネルは旧国道1号のトンネル。昭和トンネルは現国道1号の上り車線、一番新しい平成トンネルは下り車線になる。

 江戸時代の旧東海道もこの峠を越えた。

 さらに時代をさかのぼった平安時代の官道の「蔦の細道」もこの峠を越えている。

 丸子の名物料理の「とろろ汁」は、東海道の宇津谷峠と深くかかわっている。

 こうして静岡で、「安倍川餅」と「とろろ汁」という東海道の2つの名物料理を食べて感じたことは、次の2つのことである。

  その1 「名物にうまいものあり!」
  その2 「名物は食るべし!」