第1回目(8)2011年5月10日-20日

牡鹿半島は壊滅的な被害を受けた

 石巻から国道398号で女川方向に走る。国道398号沿いの一帯は大津波に襲われ、大きな被害が出ている。

 渡波(わたのは)からは県道2号で牡鹿半島に入った。

 牡鹿半島入口の渡波はいかにも大津波を連想させる地名だが、ここで石巻湾と万石浦を結ぶ水路にかかる万石橋を渡る。

 万石橋を渡って右折したところには「サン・ファンパーク」があるが、休業中で、ここは災害復興支援の自衛隊の活動拠点になっていた。

 支倉常長の一行が乗った帆船「サン・ファン・バウティスタ号」は残った。

道路には亀裂が走る

 県道2号で風越トンネルを抜けて牡鹿半島に入っていく。最初に出会うのは桃浦だが、漁港も集落も大津波で滅茶苦茶にやられている。牡鹿半島の浦々は、ことごとく大津波にやられ、目を覆うばかりの惨状がつづく。牡鹿半島の集落の大半は海岸に位置しているので、このように大きな被害が出てしまったのだ。

 月浦には支倉常長の像が建っているが、高台にあるので無事だった。慶長18年(1613年)、伊達政宗の命を受けた支倉常長の一行は、この地からローマに向かって船出した。ここには航海碑も建っている。

 県道2号で鮎川に向かって走ると、大津波によって破壊された車の残骸をあちこちで見る。その中には地元、宮城の放送局「東北放送」の車も見られた。取材中に大津波に襲われたのだろうか…。

 牡鹿半島の中心地、鮎川の町も全滅状態だ。港もやられ、金華山への観光船がいったい、いつになったら出るのか、予想もつかない状況だ。

「ホエールランド」の捕鯨船は残っていた。

 このあたりは大津波のみならず大地震の影響も大きく、鮎川の道路には亀裂が走り、数十センチもの段差ができていた。

御番所公園からの眺めは変わらない

 鮎川から牡鹿半島の南端へ。

 風光明媚な御番所公園からの眺めはまったく変らない。目の前には網地島が浮かんでいる。田代島も見える。反対側には金華山が見える。

 御番所公園からコバルトラインを北上して女川に出ようとしたが通行止。そこで鮎川に戻り、県道2号→県道41号で女川へ。

 牡鹿半島の東海岸を通る県道41号沿いの集落も、県道2号沿いの集落同様、ことごとく大津波にやられていた。牡鹿半島は半島全体が壊滅的な被害を受けた。