第1回目(7)2011年5月10日-20日

石巻港ICからの再開

 2011年5月17日、「鵜ノ子岬→尻屋崎」の第2弾目を開始する。

 スズキの250ccバイク、ビッグボーイで東京を出発。仙台南ICまで東北道を走り、仙台南部道路→仙台東部道路→三陸道で石巻港ICへ。ここまではまったく問題なく走れた。

 仙台東部道路からの眺めは強烈だ。盛土された道路の西側は、いつもの見慣れた風景で田畑が広がり、その向こうには仙台の市街地が遠望できる。ところが道路の東側は大津波にやられ、集落が全滅し、荒野と化した水田には無数の車の残骸が残されていた。

 海岸から4、5キロの仙台東部道路は防波堤の役目を果たし、大津波をここで防いだ。

 石巻港ICで三陸道を降り、仙石線の線路をまたぎ、国道45号との交差点を横切っていく。するとまるで国道45号が境目になっているかのようで、その南側の海岸一帯は大津波の大きな被害を受けている。

 残骸となった車が集められている。

 学校の校庭だったところには、大津波で亡くなった人たちの墓標が立っている。身元の不明な人たちなのだろう、墓標には名前ではなく、数字が記されていた。胸のしめつけられるような光景だ。

壊滅的な被害を目の当たりにする

 石巻港に隣接する臨海工業地帯もすさまじくやられている。

 日本でも最大級の製紙工場、日本製紙の石巻工場は大きな被害を受け、素人目にはもう再起不能のように見えた。

 石巻港から旧北上川の河口をまたぐ日和大橋を渡り、石巻漁港の魚市場へ。

「もしかして、もう再開しているのではないか…」

 という期待をいだいて魚市場の「斉太郎食堂」に行ってみたが、魚市場周辺は地盤の沈下が激しく、いまだに水びたし状態。まったく近づけなかった。

 漁港周辺の水産加工場や冷凍倉庫はことごとくやられ、あたりには魚の腐ったような強烈な腐臭が漂い、頭がクラクラするほどだった。

 石巻の主力産業の水産加工業は壊滅的な打撃を受けた。

「はたして復興する日が来るのだろうか…」
 と思ってしまうほどの被害状況だ。