30年目の「六大陸周遊記」[078]

[1973年 – 1974年]

ヨーロッパ編 1 タンジール[モロッコ] → アルヘシラス[スペイン]

ジブラルタル海峡を越えて

 モロッコのタンジール港を出航したモロッコ船籍のフェリーは、アフリカとヨーロッパを分けるジブラルタル海峡に入っていく。さすが世界の海の「銀座通り」。大西洋から地中海へ、地中海から大西洋へと航行する船の数が多い。地中海から大西洋に向かってはタンカーと貨物船がまるで競争しているかのように並走していた。

 海峡東側入口の両側に見られる岩山は、ギリシャ時代に「ヘラクレスの柱」と呼ばれ、アトラスの神がこの柱で天を支えたとされた。

 そんなジブラルタル海峡を横切り、スペインのアルヘシラス港へ。

 モロッコの山々が遠ざかり、前方にはスペインの山々がはっきりと見えてくる。やがて英領のジブラルタルが海に浮かぶ島のように見えてくる。そしてタンジール港を出てから3時間後の10時10分、アルヘシラス港に到着。スペインの大地に降り立つと、イギリスのロンドンを目指して「ヨーロッパ編」のヒッチハイクを開始した。

難しいスペインでのヒッチハイク

 スペインでのヒッチハイクは難しかった…。

「スペインでのヒッチハイクは難しい。ヨーロッパでも一番、難しい国だ」
 といった話を何度か聞いたが、ほんとうにその通りだった。

 1日の大半を費やして道端に立ち、数え切れないほどの通り過ぎていく車に排気ガスを浴びせられると、自分自身が何とも情けなく惨めになってくる。

 それまでスペインは2度、1968年〜1969年の「アフリカ一周」と1971年から1972年の「世界一周」のときにバイクで走っているが、まさかヒッチハイクがこれほど難しい国だとは思わなかった。

 やっと乗せてもらったと喜んだのもつかのま、わずか10キロとか20キロといった短い距離で、町にたどり着くとビールでも飲まずにはいられない心境だ。

もういやだ…

 日が暮れる。ほとんど先に進めないまま、明かりの灯りはじめた町を歩く。石造りの家々が建ち並ぶ町中をさまよい歩いていると、ますますブルーな気分になってくる。

 家々からこぼれてくる明かりは、まるで針のようにチクチクと胸に刺さってくる。お父さんがいて、お母さんがいて、子供がいて…。楽しそうな一家団欒。そのような人間としての当たり前の営みが無性に恋しくなってくる。何の心配もなく、屋根の下で一晩眠れる、そのことがうらやましくて仕方なかった。

 鉛のように重い足をひきずって歩く。町を抜け出たところで野宿できそうな場所を探し、寝袋1枚で眠るのだが、雨が降り出したら真夜中でも飛び起きて逃げ出さなくてはならない。そのような毎日なので、旅の疲れがずっしりと重く溜まり、
「もういやだ…。何でこんなことをしているのだろう」
 と、そんな自分がたまらなくいやになってくる。

 しかしそこで自分を支える最後のものは、
「もっと旅をつづけたい。もっともっと世界を駆けまわりたい」
 という心の奥底からの叫び声。

 夜が明けると、
「よし、今日もガンバルぞ」
 と、寝袋をすばやくたたみ、そしてふたたび歩きはじめるのだった。