『地平線通信』2017年5月号より

●スズキの150ccバイク、ジクサーを走らせ、「中国一周3000キロ」(3月2日〜3月9日)にひきつづいて、「九州一周5000キロ」(4月20日〜5月1日)を走ってきました。

●さて九州一周ですが、普段、我々が使っている「九州」は「ちょっと違いますよ」といいたいのです。九州本土の旧国、筑前、筑後、肥前、肥後、豊前、豊後、日向、薩摩、大隅の9国に由来しての九州ですが、じつはそのほか壱岐、対馬の島国2国があるのです。ですから「十一州」と正確に呼ぶか、もしくは「五畿七道」のうち、九州の11ヵ国は西海道なので、「西海道」と呼ぶのがいいと思います。しかし今さら、「九州」を「十一州」とか「西海道」には変えられないでしょう。「九州女の深情け」が「十一州女の深情け」になったら、何が何だか、さっぱりわからなくなってしまいますよね。

●なぜ冒頭からこういうことを言うかというと、ぼくは日本を県単位で見るのではなく、旧国を強く意識して、旧国単位で見る方がはるかにおもしろいと思っているからです。我々日本人のDNAには千何百年間もの旧国の歴史がしみついているのです。たとえば静岡県は伊豆、駿河、遠江の3国から成ってますが、とくに大井川をはさんだ駿河と遠江は似ても似つかない世界です。隣の愛知県は三河と尾張ですが、三河生まれの世界企業のトヨタは長い間、国境をはさんだ尾張側には一切、工場を造りませんでした。その隣の岐阜県は美濃と飛騨ですが、「飛山濃水」といわれるように、ここも2つの国はまるで別世界です。

●ということでカソリ、「九州一周5000キロ」では徹底的に旧国を意識してまわりました。といってもこれがけっこう難しいのですよ。今の旧国には国府跡はあっても国府は残っていないし、国分寺跡はあっても国分寺は残っていないし…。そこで一宮に目をつけたのです。一宮は日本全国68ヵ国のすべてに残っています。2社以上の国もあるので、全部で110社(そのうち5社は新一宮)あります。

●一宮の千何百年という生命力のすごさ、その寿命の長さには驚かされてしまいます。おまけにどの一宮にも豊かな鎮守の森があり、それぞれの国では一番の自然の宝庫になっています。こうして「一宮めぐり」をしながら「九州一周5000キロ」を走ったのですが、魅力満載のスタンプラリーを楽しみながら九州を走るようなものでした。

●4月20日10時、東名の東京料金所を出発。150ccバイクというのは高速道路を走れる最小のバイクなのです。東名から名神→中国道→九州道と高速道路を走りつづけ、関門海峡を渡った門司港ICには24時30分に到着。1100キロを14時間30分で走ったことになります。それにしても痛いのは16900円の高速代。日本の高速道路は高すぎますよね。

●門司港の「ルートイン」に泊まり、翌日からは一宮めぐりを開始。まずは福岡市内の筑前の一宮、筥崎宮と住吉神社を参拝。つづいて筑後の一宮の高良大社へ。久留米郊外の高良山の中腹にあります。九州一の大河、筑後川を渡り、肥前の一宮、千栗神社と與止日女神社の2社をめぐりました。その中間に吉野ヶ里遺跡の吉野ヶ里歴史公園があります。

●筑前、筑後、肥前の一宮をめぐりを終えると、唐津東港からフェリーで壱岐の印通寺港に渡りました。壱岐の一宮は天手長男神社。じつは20年前の「50代編日本一周」で日本全国の一宮をめぐったのですが、68ヵ国の中ではこの壱岐の一宮が一番、消滅の危機にあると感じました。しかしそれは杞憂に過ぎなかったようで、社殿は新しく建て替えられ、境内も整備されていました。

●壱岐の郷ノ浦港から対馬の厳原港にフェリーで渡ると、あふれかえる韓国人旅行者の多さに圧倒されました。厳原に新しくできた「東横イン」に泊まったのですが、宿泊客の大半は韓国人。館内には韓国語が飛び交っていました。厳原から国道382号で北の比田勝に向かったのですが、韓国人サイクリストの車列は途切れることはありませんでした。国道から離れた対馬の一宮の海人神社はまったくの別世界で、まるで忘れ去られたかのように人一人、いませんでした。

●厳原港からフェリーで博多港に戻ると、熊本から鹿児島へ。熊本では肥後の一宮の阿蘇神社を参拝。熊本地震で社殿がつぶれた阿蘇神社ですが、拝殿の奥にある一の神殿(左)と三の神殿(中)、二の神殿(右)の本殿は残っていました。鹿児島では薩摩の一宮、川内の町中にある新田神社と開聞岳を目の前にする枚聞神社の2社、つづいて大隅の一宮の鹿児島神宮をめぐりました。鹿児島県というと誰もが薩摩を連想しますが、じつは薩摩と大隅の2国から成っているのです。

●日本本土最南端の佐多岬に立ったあと、九州の東側を北上し、日向、豊後、豊前の一宮をめぐりました。日向の一宮は都農神社、豊後の一宮は柞原神社と西寒田神社の2社です。柞原神社も西寒田神社も大分の市街地を間近にするところにありますが、境内の自然林のすごさには驚かされてしまいます。とくに柞原神社はまるで深山幽谷の地に入り込んだかのようで、入口の南大門の脇には樹齢3000年といわれる大楠が空を突いています。

●「九州一周」の一宮めぐりの最後は、豊前の一宮の宇佐神宮です。朱塗りの大鳥居に朱塗りの社殿。宇佐八幡で知られる宇佐神宮は、全国に2万4000社ある八幡神社の総本社なのです。宇佐神宮を最後に北九州に戻り、門司港の「ルートイン」に泊まりました。帰路は山陰道の国道9号で京都まで行き、京都から名神→東名と高速道路で東京へ。十一州にとことんこだわった「九州一周5000キロ」でした。(賀曽利隆)

壱岐の郷ノ浦港から九州郵船の「フェリーきずな」に乗り、対馬の厳原港に到着。ここから対馬最北の地に向かっていく