サハリン縦断 2000年(1)

自宅前から愛車で世界へ

 2000年8月1日、スズキDJEBEL250GPSバージョンとともに、神奈川県伊勢原市の自宅前を出発した時は、体がゾクゾクッと震えるほど興奮した。

 それは「道祖神」のバイクツアー「賀曽利隆と走る!」シリーズ第5弾目、「サハリン縦断」の出発の朝のことだった。

 ぼくはそれまでに世界6大陸の136ヵ国をバイクで駆けめぐってきたが、いつも悔しい思いをしてきた。それは島国・日本のハンデに対しての悔しさといっていい。

 たとえばヨーロッパ人ライダーたちは、自宅前をバイクで出発すると、まるで国内ツーリングに出かけるかのような気軽さでジブラルタル海峡を渡ってアフリカ大陸へ、またはボスポラス海峡を渡ってアジア大陸へと入っていく。ところが我ら日本人ライダーは、バイクとともに海の向こうの世界に渡るというのは大変なことなのだ。

 だが、ついに、その厚い壁を突破する時がやって来た。

「サハリン縦断」は参加者各人のバイクで走るというもので、稚内に集合し、そのままフェリーにバイクを積んでサハリンに渡るというもの。まさに自宅前から愛車で走り出し、そのまま海を越えて異国へと渡っていくというものなのだ。なんと画期的なことか!

 東京から青森までは林道をつないで走った。川俣檜枝岐林道を皮切りに、全部で8本の林道のダート202キロを走って青森に到着した。

 青森ではちょうど「ねぶた」の最中。ぼくも「ラッセラー ラッセッラー」と、クタクタになるまで踊った。いや、跳ねた!

 北海道に渡ると、函館から根室までは太平洋岸のルートを走った。

 濃霧の納沙布岬に立ったあと、花咲漁港では港前の店で熱湯でゆで上げた花咲ガニを貪り喰った。激ウマ!

 根室からは知床半島をまわり、オホーツク海沿いに走り、宗谷岬に到達。

 宗谷岬の展望台に駆け登ったが、残念ながらサハリンは見えなかった。天気は晴れていたが…。

 宗谷海峡の水平線に向かって、
「サハリンよ、待ってろよ〜!」
「今、すぐに行くからな〜!!」
 と、叫んでやった。

宗谷岬から宗谷海峡の水平線を望む