サハリン縦断 2000年(2)

宗谷海峡を渡る

 東京を発ってから8日目、2000年8月8日に2800キロを走って稚内に到着した。その夜は一緒にサハリンを走る19名の「サハリン軍団」のみなさんと稚内の森林公園キャンプ場で、飲めや飲めやの大宴会になった。夜中過ぎまで飲みつづけ、大宴会がお開きになったときは足腰が立たないくらいのフラフラ状態だ。

 翌8月9日、稚内港での出国手続き。パスポートに「WAKKANAI」の出国印を押された時は感動した。

 東日本海フェリーの「アインス宗谷」(2628トン)に我々のバイクは積み込まれ、そして乗船する。

 午前10時、船が岸壁を離れると缶ビールの自販機の値段が変わった。税金がかからなくなるので、1本100円で飲めるようになった。その100円ビールを飲みながら、離れゆく稚内を眺めた。

 右手にはノシャップ岬。灯台がよく見える。その背後には利尻富士が見える。

 左手には宗谷岬へとつづく長い海岸線が見える。雲ひとつないすばらしい天気で、宗谷海峡は快晴の空を映し、より青く見える。前日に宗谷岬で見た宗谷海峡を「今、渡っている!」と思うと、感動がこみあげてくる。

 やがて前方には、サハリン最南端のクリリオン岬が見えてくる。サハリンの島影は次第にはっきりしてくる。そんなサハリンを見ながらコルサコフ港へと向かっていく。

 稚内港から5時間30分の船旅でコルサコフ港に到着。日本時間では午後3時30分だが、日本とサハリンの間には2時間の時差があるので、現地時間では午後5時30分になる。

「稚内〜コルサコフ」航路は戦前の日本の北への大動脈の「稚泊航路」。コルサコフは日本領時代には「大泊」だった。

 コルサコフ港での入国手続きは、「どうなることやら…」と、足止めを食らう覚悟でいた。ところが、このあたりが「道祖神」のすごさで、菊地さんは札幌に本拠を置く「ポーラスタージャパン」の杉山さんと頻繁に連絡を取り合ってくれていた。そのおかげで、現地の子会社「ユーラシア・インタートランス」が事前に万全の手配をしておいてくれた。ということで入国手続きは簡単なものだった。

 さらに驚いたことには、我ら「サハリン軍団」がコルサコフ港に上陸すると、サハリン警察のパトカーが我々を待ち構えてくれていた。

 州都のユジノサハリンスクまでの40キロは赤青灯を点滅させたパトカーの先導つき。前に2台、後に1台と、まるでVIP待遇だ。

 8月10日午前9時、ユジノサハリンスクを出発。これから先、全行程をパトカーが先導してくれる。郡単位で警察の管轄が変わるので、郡境で次のパトカーが待っているというリレー方式だ。

 ユジノサハリンスク交通警察の警官、ジマさんとサポートカーの運転手のボロージャさんは、ガイドのワリリさんとともに全行程を同行してくれる。

 ユジノサハリンスクの市街地を抜け出ると、北海道をさらに広くしたようなサハリンの広大な大地が広がっている。カソリのスズキDJEBEL250GPSバージョンが先頭を走り、そのあとに18台のバイクがつづく。バックミラーをのぞき込むと、一列になったバイクが長い、長い線を描いている。これがたまらない。

 オホーツク海の砂浜に出たところで昼食だ。若干、酸味のあるロシアの黒パンにチキン、チーズ、キューリ、トマト、オレンジ、それとジュース。北海道へとつづくオホーツク海を眺めながら食べる昼食には感動した。

 ユジノサハリンスクから100キロほど北にいくと、舗装は途切れ、ダートに突入。先導のパトカーの巻き上げる土煙りがものすごい。あっというまに埃まみれになる。その夜はユジノサハリンスクから300キロ北のポロナイスクに泊まり、翌日、憧れの北緯50度線を越えた。

  • 稚内港を出港
    稚内港を出港
サハリン最北、エリザベート岬を見る

 かつての日本とロシアの国境の北緯50度線を越えて北サハリンに入ると、真夏だというのにバイクで切る風は冷たさを増す。そこはツンドラの世界。夏のツンドラはただの草原にしか見えないが、バイクを停め、一歩その中に入ると、ズボズボッともぐってしまう。水を吸ったスポンジの上を歩いているかのようだ。

 ティモフスク、ノグリキと泊まり、サハリン最北の町、オハまでやってきた。オハはサハリン沖の海底油田開発の拠点。石油関連の工場や施設、ガスを燃やす炎を噴き上げる製油所などが「石油の町オハ」を強く感じさせた。

 オハからは間宮海峡(ダタール海峡)の海岸まで行き、夏でも冷たい海に入った。

 オハに戻ると、さらに北へ。道の尽きるところまで行く。

 シュミット半島に入り、コリンドという小さい町を通り、オハから80キロ行った地点で道は尽きた。コルサコフから1085キロの地点だ。

 そこからは夕日を浴びた丘陵地帯の向こうに、サハリン最北端のエリザベート岬が見える。右手の海はオホーツク海、左手の海は間宮海峡(ダタール海峡)。我ら「サハリン軍団」は、サハリン最北端のエリザベート岬に向かって「やったぜ!」の万歳した。

  • サハリンを北へ、北へ!
    サハリンを北へ、北へ!