2011年5月26日
台鈴のみなさんと乾杯
中山公園の特設会場でのトークショーを終えると、李さんら台鈴のみなさんと一緒に台鈴工業の本社に戻る。
その途中では「東区粉園」という店でタピオカ(キャッサバの澱粉)の入った氷菓を食べ、つづいて「清蒸肉園」という店では蒸肉団子の軽食を食べた。
前回の「台湾一周」のときもそうだったが、李さんは1品でも多くの台湾の食べ物を食べさせようとしてくれる。その気持ちがすごくうれしい。
松江路の台鈴工業本社に近づくと、突然、ザーッと雨が降り出した。台湾のライダーのみなさんは慣れたもの。すぐさまポンチョ風の雨具を着て、何事もなかったかのように走り出す。ぼくもすばやく雨具を着てTEKKENを走らせた。
台鈴工業本社近くの交差点の角には日本風回転ずしの店ができていた。台鈴工業本社ビルの隣には地下鉄の新しい駅、行天宮駅が開業していた。ともにこの1年間の変化だ。
台北の中心街、松江路に面した台鈴工業の本社に戻るとTEKKENを降り、海鮮料理店に行く。
台鈴の李さんの一言がうれしい。
「カソリさん、おいしいもの、食べさせてあげますからね」
店に入ると、まずは「台湾ビール」で乾杯。軽いタッチの台湾人気質の明るさを感じさせるような台湾ビール。
李さんと乾杯し、台鈴のみなさんと乾杯。そのあとは怒涛のごとくに台湾料理の数々がテーブルに並ぶ。それを台鈴のみなさんと一緒に食べるのだ。
台湾ビールのあとは紹興酒で乾杯。
そんなところへ台鈴工業董事長の黄さんが来てくれた。日本の上智大学に留学しただけあって、黄さんの日本語はとても上手だ。
「カソリさん、よく来てくれました。またこうしてお会いできてうれしいですよ」
黄さんは留学時代、小田急線の東海大学駅前に住んでいたので、ぼくの住む伊勢原もよく知っている。前回同様、黄さんとの小田急線談義で盛り上がった。
黄さんは東日本大震災では、義援金の募金ではずいぶんと尽力してくれた。台湾は短期間で100億円以上もの義援金を集め、すぐさま日本に送ってくれたのは新聞報道などでもよく知られていることだ。
黄さんは小池百合子議員と親しくしている。小池議員が震災後、すぐに台湾に来てくれたことが義援金集めの大きな力になったという。
「小池さんには日本初の女性首相になってもらいたいです」
ともいっている。
東日本大震災被災地の村井宮城県知事、佐藤福島県知事とも面識があるとのことで、とくに村井知事の見識の高さを評価していた。日本の大学に留学し、日本を知り、日本人を知り、日本語の堪能な黄さんならではの人脈の広さだ。
黄さんの話は胸に残った。
「今回の大震災は明治維新、終戦に次ぐ大きな変革を日本にもたらす可能性があります。大震災をチャンスととらえる前向きな発想が大事ですね」
黄さんは今の日本の若者を心配していた。力を失くしてしまったかのように黄さんの目には映るようだ。その若者たちの出番が今回の大震災だという。新しい国造りに若者たちの発想で、若者たちのパワーで、どんどんと参画してもらいたいという。日本人以上に日本を想ってくれる黄さんだった。