2010年6月23日

台湾最東端の地、三貂角へ

 2010年6月23日。礁渓温泉「礁渓館」での夜明け。目を覚ますとすぐに部屋の湯船に温泉を流し込み、朝湯に入る。どっぷり湯につかる気分はたまらない。ここは高層の温泉宿なので、湯につかりながら温泉街を眺めた。

 朝湯から上がると、町歩きに出かける。礁渓温泉はさすが台湾でも有数の温泉地だけあって、温泉ホテルや温泉旅館が建ち並び、温泉宿に駐車している観光バスが数多く見られた。ここには温泉公園がある。足湯を楽しんでいる人たちがいる。公衆温泉浴場もあるが営業は10時からなので、残念ながら入れなかった。

 台湾の温泉というと、台北に近い新北投温泉が有名だ。温泉宿が建ち並び、公衆温泉浴場もある。日本風の温泉宿もある。泉質は硫黄泉。ここは台湾最大の温泉地で歓楽街の色彩が強い。

 陽明山温泉は新北投温泉の東側、ナショナルパークにもなっている陽明山公園にある。ここでは台湾の四季折々の自然を楽しめる。泉質は硫黄泉。

 烏来温泉は山地民のタイヤル族が多く住む烏来にある温泉。原生林に囲まれた温泉郷で泉質は重曹泉。近くには台湾屈指の名瀑、高さ82メートルの烏来滝がある。

 台東近くの知本温泉は日本時代から温泉郷として開発された。温泉街をとりまく自然は豊か。泉質は炭酸泉。

 嘉義に近い関子嶺温泉と、台湾最南端近くの四重渓温泉は「台湾四大温泉」に数えられている。「台湾四大温泉」というのは日本時代からの温泉で、新北投温泉、陽明山温泉、それと関子嶺温泉、四重渓温泉の4湯。台湾には全部で100ヵ所以上に温泉がある。

「礁渓館」に戻ると朝食を食べ、礁渓温泉を出発。国道9号と分れ、海沿いの道を行く。海辺のパーキングエリアにアドレスV125Gを止め、沖に浮かぶ亀山島を眺めた。このあたりの海はサーフィンには絶好だとのことで、多くのサーファーが見られた。

 海沿いには小さな漁港が点在しているが、そのうちのひとつに立ち寄った。漁を終えた漁船からは魚介類が水揚げされている。漁港の魚市場を見学。アナゴをさばいているオバチャンたちは元気だ。

 台湾最東端の地、三貂角へ。ここには白い灯台。これで台湾最南端の鵝鑾鼻につづいて最東端の地にも立った。

 我らツーリングライダーというのは最果ての地が大好きだ。たとえば「日本一周」のときには最北端の宗谷岬(北海道)、最東端の納沙布岬(北海道)、最西端の神崎鼻(長崎)、最南端の佐多岬(鹿児島)と、日本本土の東西南北端にすごくこだわる。

 台湾の四端というと、最北端は基隆の北西の冨貴角、最東端は三貂角、最西端は台南の北側を流れる曽文渓の河口、最南端は鵝鑾鼻になる。

 三貂角を出発し、海岸のすぐ近くにいるとは思えないような山深い景色の中に入っていく。アドレスは125ccとは思えないようなパワーを発揮し、山道を登っていく。やがて峠に到達。絶景峠だ。峠に立ち、幾重にも重なり合って連なる山並みを眺めた。台鈴の李さんに峠の名前を聞いたが、どうも名無し峠のようだ。

 中国では峠は「嶺」。大興安嶺山脈や小興安嶺山脈にあるような「嶺」だが、名無し峠はたくさんあるし、中国人はあまり峠にはこだわらない。それがチベットやモンゴルになると、峠はきわめて神聖な場所で、必ずといっていいほど名前がついている。

「峠」は日本人が作り出した国字。つまり「とうげ」に当てはまるような漢字がなかったから峠という字を作ったのであろう。

 峠にこだわる日本人、峠にはほとんど気にかけない中国人、このあたりの文化の違いがおもしろい。

 名残りおしい絶景峠をあとにし、峠を下っていくと、台湾最北の海が見えてくる。九份の町並みも見えてくる。

 九份の町に入り、オールドストリートを歩いた。ここは今や台湾でも有数の人気スポットで、大勢の観光客がやってくる。日本人観光客も多く来るようで、日本語の案内も出ている。九份は山間の一寒村にすぎなかったが、19世紀末に金鉱が発見され、一躍ゴールドラッシュに沸いた。しかし金鉱は衰退。1970年代には閉山され、この地はすっかり忘れ去られてしまう。

 それが突如、息を吹き返し、台湾の人気スポットとして脚光を浴びるようになったのは1989年のことだ。レトロな町並みが、台湾では空前のヒット作となった映画「非情城市」のロケ地になったからだ。「非情城市」はベネチア映画祭でグランプリに輝いた。日本統治時代の終わりから、中華民国が台北に遷都するまでの台湾社会が描かれているという。