2010年6月18日
爆竹を鳴らしての大歓迎!
新竹での昼食はうまさ満点、ボリューム満点だった。
台湾料理に大満足したところで、町の中心にある屋台に囲まれた城隍廟を参拝。そのあとスズキの販売店を訪ねた。到着すると、爆竹をバンバン、バンバン鳴らして大歓迎された。販売店の社長は「よく来てくれた」といって、すばらしい漆塗りの地球儀をプレゼントしてくれた。カソリの気持ちをじつにうまくつかんだ贈り物。社長と一緒になって地球儀をクルクル回したが、それとともに我が夢も世界を駆けめぐった。
新竹を出発。海岸地帯に出ると、何基もの風車が見えた。新竹は「風城」とも呼ばれているほど風が強い。
やがて台湾海峡が見えてくる。初めて見る台湾の海に胸がジーンとしてくる。
地図上で線を引いてみると、対岸は中国・福建省の泉州になる。半年前に走った「広州→上海2200キロ」のシーンが思い出される。泉州側からもやはり台湾海峡を目にし、対岸の台湾に思いを馳せた。そして「きっといつの日か、バイクで台湾を一周しよう!」と心に決めたものだ。それがわずか半年後に実現するとは…。旅はドラマだ。
台湾海峡沿いの公園で小休止。台湾海峡を眺めながら食べたスイカは忘れられない。
台湾山脈を源とし、台湾海峡に流れ出る大甲渓(日本語でいえば大甲川になる)の河口近くにある町、大甲に到着。町の中心にある鎮瀾宮を参拝した。ここは媽姐をまつっている。台湾ではどの寺院に行っても、祈る人たちを見る。台湾人は厚い信仰心を持っている。このあたりの信仰心の厚い、薄いの差が台湾と中国の一番の違いだ。
鎮瀾宮には線香の煙と香りが充満している。それはここのみならず、台北の行天宮や新竹の城煌廟もそうだったし、台湾の寺院ではどこでも見られる光景。線香は日本のものよりも3、4倍もある大きなものだ。
鎮瀾宮は航海の女神で知られる「媽姐」をまつっているが、媽姐は台湾人の大好きな女神。媽姐をまつる寺院は台湾中に数多くある。媽姐は航海の女神にとどまらず、まるでアラーのような全知全能の神なのだ。
大甲から台中へ。台中は人口120万人。台湾中部の中心都市で、北部の台北、南部の高雄に次ぐ台湾第3の都市になっている。ちなみに台北の人口は260万人、高雄は200万人だ。
アドレスV125Gを走らせ、台中の中心街へ。スカイウェーブ250で先導してくれている台鈴の曾さんの向かった先は、スズキの販売店「稚豊車業」。大勢の人たちが店の前でカソリの到着を待ち構えてくれていた。ここでも新竹の販売店同様、爆竹が打ち鳴らされた。
つめかけた50人を超えるみなさんに挨拶し、「台湾一周」について話した。それにつづいて「日本一周」(2007年)、「四国八十八ヵ所めぐり」(2008年)、「広州→上海2200キロ」(2009年)と、一連のアドレスV125Gでの旅も話した。
それを李さんと西方さんが通訳してくれた。西方さんはまだ若い19歳。お父さんが台湾人でお母さんが日本人だ。
「稚豊車業」に来てくれたみなさんは大半が若者。若者たちは熱心にぼくの話を聞いてくれた。そのあとは遠州の法多山(袋井市)のお守りを抽選に当った人たちに手渡していく。台鈴は「台湾一周」のために相当数の法多山のお守りを用意してくれた。そのあとはカソリのサイン会。みなさんに「生涯旅人!」を思い思いのものに書いてあげた。色紙を用意している人が何人もいた。
うれしかったのは大学のツーリングクラブのみなさんからTシャツをプレゼントされたことだ。それには10人以上ものメンバーがサインしてくれた。「マサです!」と、日本語で書いてくれた人もいた。
スズキのDR−Z400SMに乗って来た人には、「カソリさん、ぜひとも私のバイクに乗ってください」と頼まれた。エンジンをかけ、DR−Z400SMにまたがると、何枚もの写真を撮った。その彼に「ぼくもDRに乗っているんですよ。DRーZ400Sです」というと、うれしそうな表情を浮かべた。
みなさんに見送られて「稚豊車業」を出発。台中の町中を走り、食堂で夕食。台鈴のみなさんとの食事は楽しい。炒飯、炒麺、鵞鳥肉、豚肉料理、豆腐料理…と、次々に台湾料理を食べた。夕食を食べ終わると、お洒落なホテルの「文華道会館」に泊った。
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