賀曽利隆の観文研時代[14]
下北半島・佐井の「食」(2) 青森県佐井村は下北半島の西部に位置し、津軽海峡に面している。山地は海に落ち込み、断崖をつくり、奇岩の連なる仏ヶ浦のような名所もある。 海岸線に平地のほとんどない佐井では、海の幸と山の幸を […]
生涯旅人、賀曽利隆の旅日記
下北半島・佐井の「食」(2) 青森県佐井村は下北半島の西部に位置し、津軽海峡に面している。山地は海に落ち込み、断崖をつくり、奇岩の連なる仏ヶ浦のような名所もある。 海岸線に平地のほとんどない佐井では、海の幸と山の幸を […]
下北半島・佐井の「食」(1) 日本観光文化研究所(観文研)の「下北半島・佐井」をフィールドにしての共同調査でカソリは、食文化をメインテーマにして見聞きした。 宮本常一先生の著作集、全45巻の『宮本常一著作集』(未來社 […]
東米良の「焼畑」(3) 日本観光文化研究所(観文研)で共同調査をおこなった東米良の焼畑のうち、秋にコバキリして春に焼く「秋コバ」はヒエコバともいわれるように、ヒエをつくるための焼畑といった色彩がきわめて強い。それに対し […]
東米良の「焼畑」(2) 日本観光文化研究所(観文研)で共同調査をおこなった東米良には、「コバヤキ日和」という言葉が残っている。 焼畑のコバヤキするのは3月から4月にかけての異常乾燥注意報が出るような頃がいい。天気つづ […]
東米良の「焼畑」(1) 宮本常一先生が亡くなられた以降の日本観光文化研究所(観文研)の共同調査は、周防大島の「椋野」のみならず、九州山地の「東米良」、下北半島の「佐井」をフィールドにしてもおこなわれた。 観文研の「東 […]
奇跡の再会 周防大島の椋野では、松岡睦男さんにお会いした。 「私は大正7年に椋野で生まれました。天浄寺が生家です。昭和6年に椋野の尋常小学校に入学。尋常小学校のあとは2年間、三蒲の高等小学校に通いました。椋野と三蒲の境 […]
先生の故郷でのフィールド調査 周防大島の椋野では何人もの人たちから話を聞かせてもらったが、その中でもとくに、魚民の話はおもしろいものだった。 「椋野の漁家は全部で13軒。昔は18軒ありました。椋野の漁業というとタコ漁が […]
宮本先生が亡くなってからの観文研 宮本常一先生の命日の1月30日には、毎年、東京・西国分寺の東福寺で先生の慰霊祭がおこなわれる。 日本観光文化研究所(観文研)の所員だった山崎禅雄さんが島根県の江津市から駆けつけ、東福 […]
宮本先生とアサ子さん 宮本常一先生の故郷、周防大島を訪ねる賀曽利隆の「聖地巡礼」は「30代編日本一周」から「70代編日本一周」までの6回を数えるが、それとは別に、先生の奥様のアサ子さんにお話しを聞きにいったことがある。 […]
「聖地巡礼」は続く 宮本常一先生の故郷、周防大島を目指しての「聖地巡礼」は続く。 第3回目は1999年。スズキDJEBEL250GPSを走らせての「50代編日本一周」の時のことだった。 東京を出発してから第25日日 […]
第2回目の「聖地巡礼」 「聖地巡礼」の第2回目は、宮本常一先生が亡くなられてから8年後の1989年のことだった。この年の3月31日には、宮本先生のつくられた日本観光文化研究所(観文研)は閉鎖され、一切の活動を停止した。 […]
みなさん、あけましておめでとうございます。 昨年5月31日の事故では、危うく命を落とすところでした。 午前6時10分頃のことでしたが、東北道佐野藤岡IC近くの3車線区間下りの真中の車線をVストローム250で走行中、右 […]