マダガスカル 2012年(2)
バオバブ街道を走る
モロンダバのホテル「TRECICOGNE」には連泊。夜が明けるとモザンビーク海峡の長い砂浜を歩き、ホテルに戻ると朝食。フランスパンにバターとタマリンドの実から作ったタマリンドジャムを塗って食べた。これがうまい!
9時にモロンダバを出発すると、今回の「マダガスカル」のハイライトシーンといってもいいバオバブ街道を走った。バオバブは東アフリカや西アフリカ、オーストラリアなどでも見たが、道の両側に聳え立つバオバブ並木は初めて見る光景だ。
バオバブ街道を走るとナショナルパークの森の中に入り、マダガスカル固有のレムール(キツネザル)とシファカ(キツネザル)を見た。レムールは4匹、白っぽいシファカは6匹見ることができた。ラッキー!
モロンダバに戻ると、我々は4隻の観光カヌーに乗って「ピローグツアー」を楽しんだ。ピローグは丸木舟やカヌーを意味するフランス語。ピローグツアーを終えると漁村を歩いた。漁民たちは網の手入れをしていた。この日のモザンビーク海峡に落ちる夕日は素晴らしく綺麗だった。
真赤な砂道がつづく
2012年8月11日、モロンダバを出発。ここからベロを通ってマンジャまでの区間は超難関。真赤な砂道を走り、連続する水溜まりを走り抜け、川渡りをする。この難路区間の砂深い道で上沼琢仁さんが大転倒。ベロの診療所に運びこまれたが、鎖骨を折った。上沼さんはツワモノだ。そのまま帰国することもなく、ベロからゴール地点のトリアラまでは鎖骨バンドをして、猛烈な痛みに耐えて、サポートカーに乗りつづけたのだ。日本に帰ってからの診断でわかったことだが、鎖骨のほかに肋骨が5本、折れていた。
ベロでひと晩泊り、難路を走り切ってマンジャにたどり着いた時は、我ら全員が喜びの表情を浮かべて安堵した。「モロンダバ→マンジャ」間は310キロ。その間は全線がダートだった。
満天の星空を見上げる
8月14日、マンジャを出発。マンゴキー川をフェリーで渡り、モロンベに向かう。猛烈な暑さで頭がクラクラしてくる。集落がつづく。サトウキビ畑が広がっている。道は穴ぼこだらけの舗装路。穴に落ちるとかなりの衝撃なので気を抜けない。世界一のバオバブの巨木を見てモロンベの町に入っていった。ここでは連泊。翌日は町の市場を歩いたり、漁民の帆船に乗せてもらったりした。そのあとはメンバーのみなさんと浜辺のチェアーに座ってのビールパーティー。「THREE HORSES」を何本も空けた。そしてモザンビーク海峡に落ちる夕日を見た。夕食を食べたあとも浜辺のチェアーに座り、満天の星空を見上げた。ものすごい星の数。天の川がよく見える。南十字星もよく見えた。
8月16日、モロンベを出発し、ゴールのトリアラに向かう。トリアラに近づくと綿花畑やキャッサバ畑が見られるようになった。
16時、トリアラに到着。アンタナナリボから1635キロ。そのうち半分以上の845キロがダートだった。ホテル「CHEZ ALAIN」に入ると、我々はビールでの乾杯を繰り返し、トリアラ到着の喜びを爆発させた。よくやった!
翌日は8時にホテル「CHEZ ALAIN」を出発。マイクロバスで空港へ。我々は9時30分発のアンタナナリボ行きに乗り、16時25分発のMD(マダガスカル航空)010便でタイのバンコクに飛び、最後はTG(タイ国際航空)676便で成田に戻る予定になっていた。
ところがトラブル発生!
9時30分発のアンタナナリボ行きの便は出発時刻が18時00分に変更された。これでは日本に帰れない…。ここで道祖神の菊地優さんが登場。その剛腕ぶりを発揮する。
菊地さんはすぐさまマダガスカル航空の日本支社長に直接電話し、交渉を開始する。その結果、トリアラ発11時00分のポートドルフィン経由のアンタナナリボ行きに乗れるようになった。しかし全員ではない。12人までだという。
真っ先に小林進一さんが手を上げた。ミッシェルのサポートカーでアンタナナリボに戻るという。誰が残るか、じゃんけんで決めた。最後は新谷州弘さんと大堀智子さんの2人でのじゃんけんになり、大堀さんが負けた。大堀さんと菊地さんは残って変更された便に乗ることになった。こうして、トラブルをすぐさまドラマに変えてしまうところが我々のすごさ。小林さん、大堀さん、ありがとう!
トリアラからは予定通りで、翌8月18日15時45分に我々は成田に到着した。