アラスカ縦断 2003年

「極北の世界」は我が憧れの地。ついにその北の大地を道祖神の「賀曽利隆と走る!」シリーズで走るときがやってきた。

「アラスカ軍団」の面々とともにアラスカ最大の都市、アンカレッジを出発。北米大陸の最高峰、マッキンリー山を眺めながら北へ、北へと白夜の荒野を走りつづけ、北極圏に突入。極北のブルックス山脈の峠を越えると、前方には広大なツンドラ地帯が広がっている。目指すのは最北のプルドーベイ。「北極海を見た〜い!」

白夜の荒野を駆け抜ける

 2003年7月19日午前10時、「アラスカ軍団」の面々は、アラスカ最大の都市、アンカレッジを出発。「道祖神」のバイクツアー「カソリと走ろう!」シリーズ第8弾目の「アラスカ縦断」に参加されたみなさんだ。

 最年長の佐藤賢次さんは1937年生まれ。前年の「ユーラシア横断」のメンバーだ。佐藤さんは年をまったく感じさせない豪快な走りをする。

 同じく石井敬さん、新保一晃さんも「ユーラシア大陸横断1万5000キロ」を一緒に走った仲間。間野俊晃さんとは世界最長ダート「キャニングストックルート」と「サハリン」を走っている。藤元隆憲さんとは「サハリン」、北川直樹さんとは「オーストラリア」と「モンゴル」を走っている。さらに「アラスカ軍団」には高橋香里さんと菊池佐知さん2人の女性ライダーがいる。

 我ら「アラスカ軍団」のバイクはカワサキのKLR650とBMW650。カソリが乗るのはKLR650。それと「道祖神」の菊地優さんの運転するニッサンのピックアップのサポートカー。菊池佐知さんは菊地優さんのサポート役として車に同乗する。

奇跡の青空!

 アンカレッジからは北に延びるアラスカ州道3号でフェアーバンクスへ。この季節としては珍しい快晴で、空には一片の雲もない。

 第1日目の宿泊地、タルキートナに到着。展望台からは北米大陸の最高峰、マッキンリー山(6194m)がよく見える。青空を背にしたマッキンリー山は神々しいほどで、雪の白さが際立っていた。

 タルキートナでは川沿いのキャンプ場でキャンプ。まずは焚き火だ。みんなで焚き木を集め、盛大な焚き火をする。そしてバドワイザーで「アラスカに乾杯!」を繰り返す。あっというまに空になった缶が山となって積まれていく。夕食はTボーンステーキ。アラスカを走り出した喜びで我ら「アラスカ軍団」の宴会は大いに盛り上がった。

 我々の隣りでは、アメリカ人の3人組がキャンプをしていた。彼らに北海の大魚、オヒョウの干魚を差し入れしてもらったのを機に、一緒に飲み、一緒に語り合った。

 米空軍に20年勤務したダンとドール&マット夫妻の3人組。ダンは日本の横田基地に3年いたという。ダンとは日本での思い出話で盛り上がった。夫妻のうち、奥さんのドールは今日が42歳の誕生日。22歳になる娘さんがいるとは思えないほど若々しい。

 ドールとは彼らにもらったカリフォルニアワインが空になるまで、「ハピー・バースデー・ツユー」を繰り返した。宴会がお開きになったのは深夜になってからだ。白夜のアラスカ、その時間でもまだ空は明るい。

 翌日も快晴。アメリカ人の3人組に別れを告げ、青空を背にしてそびえ立つマッキンリー山に向かって走る。マッキンリー山を間近に眺めるカフェで休憩。皆、思い思いにマッキンリー山をバックに記念撮影。ここで知ったことだが、この季節に2日連続で雲ひとつないマッキンリー山を見るのは奇跡だという。この3年あまり、7月にマッキンリー山が完全に見えた日は1日としてなかったからだ。

 アンカレッジから400マイル(約640キロ)走ってアラスカ中央部の都市、フェアーバンクスに到着。なんともなつかしい。1971年から翌72年にかけて、ぼくはスズキのハスラー250で「世界一周」した。そのときカナダのドーソンクリークからアラスカ・ハイウエーを走破してフェアーバンクスまでやって来た。そのときに比べると、フェアーバンクスは、はるかに大きな近代的な都市に変わっていた。

  • 飛行機から見るマッキンリー山
    飛行機から見るマッキンリー山
待望のダートルート

 フェアーバンクスからさらに北へ。ここで初めて「トランス・アラスカ・パイプライン」に出会う。北極海のプルドーベイからアラスカ湾のバルディーズまで、アラスカ半島を縦断する全長1280キロのパイプライン。これはまさにアメリカの生命線で、ぼくたちはこれ以降「トランス・アラスカ・パイプライン」を見ながらプルドーベイまで走ることになる。

「アラスカ縦断」の第2日目は、フェアーバンクスから20マイル(約32キロ)北のオルネス湖畔のキャンプ場。

 ここでも忘れられない出会いがあった。クリスティン&プレイドの夫妻だ。2人にはなんと6人もの子供がいるという。そのうちキャンプには4人の子供を連れてきていた。夫妻にはムース(大鹿)の味つけ肉をもらったが、それはまさにアラスカの味覚だった。

 我ら「アラスカ軍団」はムースを肴に、焚き火のまわりで前夜につづいてバドワイザーをガンガン、飲み干した。あっというまに日付が変わったが、白夜のアラスカはひと晩中、明るい。午前1時に寝て午前5時に起きたが、寝たときも、起きたときも空は明るかった。

 オルネス湖から60マイル(約96キロ)走ったところで、舗装路は途切れ、待望のダートルートのダルトンハイウエーに入っていく。北極海のプルドーベイまで425マイル(約680キロ)の標示が出ている。

 北極海を目指してダルトンハイウエーを走り始める。路面は整備されて走りやすい。時速100キロ以上で走れる高速ダートだが、ゆるやかなコーナーが連続するので、コーナーでは飛び出さないように気をつけなくてはならない。

 さらに小粒の浮き石がクセモノ。ハンドルをとられ、あやうく転倒しかかったことがある。高速ダートでの転倒はダメージが大きいので、十分な注意が必要だ。

 それと大型のトラックやトレーラーが要注意。モウモウと土煙りを巻き上げて走るので、すれ違った時は一瞬、視界がなくなる。追い越すときはさらに難しい。上り坂などを使って、トラックがスピードを落とした瞬間を見計らって追い抜いていく。

 ダルトンハイウエーの起点から60マイル(約96キロ)走ったところでアラスカの大河、ユーコン川を見る。思わず「オー!」と声が出る。ユーコン川にかかる橋を渡ったところがユーコンリバー。ここで給油し、レストランでハンバーガーを食べた。

 昼食を食べ終えたところで、自分一人でもう一度、ユーコン川を渡り、そこからパイプライン沿いのダートに入った。バイクをからめた写真をとりたかった。

 すると驚いたことに、バイクを停めたとたんに、すぐ後ろに石油会社の赤色のパトロールカーが来ていた。ぼくの行動の一部始終は、すべて監視カメラで見られていた。

 別に係官にとがめられることはなかったが、そこで写真をとり終え、ダルトンハイウエーに戻るまで、パトロールカーはぴったりとぼくに密着した。

 2001年9月11日の同時多発テロ以降、「トランス・アラスカ・パイプライン」もテロの標的にされているという噂が流れ、警備を厳重にしたという。特にユーコンリバーは警備の最重点ポイントになり、24時間体制で監視されている。そんな現状をはからずも体験した。

 ユーコンリバーから北に50マイル(約80キロ)行ったところで、北極圏(アークティック・サークル)に突入。北緯66度33分以北の極北の世界に入ったのだ。

 ぼくにとっては初めて経験する北極圏なだけに、「ついに来た!」といった感動に襲われた。それは体がブルブルッと震えるほどの感動だ。

 ユーコンリバーから北に120マイル(約192キロ)でコールドフットに到着。ここがダルトンハイウエーの2番目の給油ポイント。ユーコンリバーと同じようにレストランもある。

 コールドフットから8マイル北のマリエクリークのキャンプ場で「アラスカ縦断」第3日目のキャンプをする。「アラスカ軍団」の面々との毎夜のキャンプは楽しい!

  • これが「トランス・アラスカ・パイプライン」
    これが「トランス・アラスカ・パイプライン」
北極海に飛び込んだ

 翌日、マリエクリークからさらに北に向かって走ると、前方に山並みが見えてくる。極北の大陸分水嶺のブルックス山脈だ。まずは最初の峠、標高2189メートルの峠に立つ。雄大な眺望。絶景峠だ。

 次に2番目の峠、標高2499メートルのアティガン峠に立つ。険しい山並みが迫り、眺望はよくないが、道路端にまで雪が迫っていた。ここでは夏でも雪が降るという。極北のブルックス山脈を実感させる峠の風景だ。

 アティガン峠を下ると、風景は一変する。針葉樹林は消え、一望千里のツンドラ地帯が広がっている。夏のツンドラ地帯は一面の青々とした草原だ。だが、見た目には草原でも、バイクを停めてその上を歩くとズボズボッと沈み込み、水がしみだしてくる。さらにここでは、猛烈な蚊の大群の襲撃を浴びることになる。ツンドラ地帯に入ってからは、カリブーやグリズリー(大熊)を見るようになる。

 7月22日13時、アンカレッジから912マイル(約1459キロ)走って、ゴールのプルドーベイに到着。バイクを並べ、藤元さんがつくってくれた「祝!アラスカ縦断!」の横断幕を掲げ、我ら「アラスカ軍団」はその前で喜びを爆発させた。

 ここでは石油会社のバスツアーで、北極海の浜辺まで行った。

 夢にまで見た北極海。Tシャツ1枚になり、冷たい海に飛び込んだ。

 「おー、北極海!」

 北極海を肌で感じ、「アラスカ縦断」を実感するのだった。

  • ブルックス山脈の峠越え
    ブルックス山脈の峠越え