能登半島を行く[70]

2024年6月10日 – 11日

能登半島最後の秘境

 門前(輪島市)から県道38号で大沢に向かったが、門前側も通行止。通行止地点で分岐する県道266号で日本海の皆月に出た。ここでは季節風から家々を守る間垣が見る。皆月から能登半島最後の秘境といわれる猿山岬に向かった。猿山(332m)が海に落ちる地点が猿山岬だ。

 海沿いの道を走り、最後の集落の吉浦を過ぎると、猿山の山中に入っていく。猿山岬の駐車場まではVストローム250で問題なく行けた。そこから歩き始め、娑婆捨(うばすて)峠に到達。「うばすて」と言えば信州の姥捨山伝説が思い出されるが、能登の娑婆捨伝説も知りたいものだ。

 娑婆捨峠からかなり荒れた山道に歩いていく。崩落箇所を突破し、猿山岬を目指したが、その途中で通る逢瀬の谷の「悟れじの水」伝説は興味深い。その案内板には次のように書かれている。

 昔、この地に落人の大蔵之介とおやすの夫婦が住み着き、薪炭を造り、自活の途を辿っていた。ここには天然の湧水ありて、その水質の良さを誇りとし、夫婦は生涯をこの地に果てることを口にし、仕事に従い居たり。

 この夫婦間に一子、娘あり。おはる、美人にして山小町と呼ばれ、毎日、両親の手助けをし、時には物々交換などで吉浦まで現れることもあり。村人も薪拾い茅刈りなどで山に入り、このささやかな住居を訪ねる事あり。大蔵之介は学問に長じ、村の若者に教えることを厭わず、また熱心な信仰者でもあり、仏の訓に徹し、村人にも勧める。

 娘のおはるはいつしか村の青年、吾一との交際を始める。おはるは薪とりに外出すること度々、吾一も茅刈りに山に入る事、度重ねるに至る。

 ある日、山の岩かげでの二人の密会の際、その岩の上に大天狗現れ、汝らの望みは必ず叶わすであろうと述べ、立ち去った。

 おはると吾一は天狗の言葉通り、後日、契り結ばれる。吾一は山の家に婿養子として迎えられ、仕事の手助けをすることになる。吾一の働きは常人に優る。数年にして富を得ると山を去り、他へ移住したという。

 一生をここに果てる覚悟も、富によって砕かれ、逢瀬の水と別れしも、水は永遠に「悟れじの水」として流れつづけている。

 猿山岬灯台に到着。高さ200メートルの大断崖の上に立つ灯台は傾き、隣の建物が倒れ掛かっている危険な状況だ。1920年に完成したという猿山岬灯台だが、当時は猿山岬までの道路はなく、建設資材はすべて船で運ばれ、大断崖の下から荷揚げされたという。大変な難工事だった。