能登半島を行く[68]

2024年6月10日 – 11日

日本最古の海水プールを見た

 輪島の早朝散歩を終えて「ルートイン」に戻ると、朝食を食べ、8時に出発。前日にひきつづいて名所の鴨ヶ浦に行った。

 鴨ヶ浦への道は両方向とも大崩落で通行止になっているが、何としても「行くぞ!」という気分でVストローム250を止めると、歩いて崩落した山を越えた。

 鴨ヶ浦の駐車場にはシートをかけられた車が1台止まっていたが、1月1日の「能登半島地震」発生前に来て、その直後の大崩落で出るに出られなくなってしまったようだ。

 ここでは遊歩道を歩き、6コースまである日本最古の海水プールを見た。このプールは戦前に作られ、戦後に6コースのプールとして整備された。それを見ていると、輪島出身の名スイマー、山中毅選手が思い出されてならなかった。山中選手は1956年のメルボルン・オリンピックで400m自由形と1500m自由形で銀メダルを獲得した。優勝したマレー・ローズ選手(豪)と死闘をくり広げ、日本中が熱狂したものだ。小学生だったぼくもラジオにかじりつき、夢中になって雑音まじりの放送を聞いた。当時の熱狂ぶりはまだ覚えている。山中選手は次の1960年のローマ・オリンピックでも、400m自由形で銀メダルを獲得した。

 山中選手のお母さんは輪島の海女さん。その影響もあって山中選手は小さい頃から、荒波の日本海で泳いでいたというのは有名な話だ。きっとこの海水プールでも、何度も泳いだことだろう。今回の「能登半島地震」では海底が隆起し、その鴨ヶ浦の海水プールは干上がっている。