2024年5月15日 – 17日

それでも社殿は残っていた

 国道160号で七尾に戻ってくると、ありがたいことに雨は止んだ。

 七尾市内の式内社めぐりはさらにつづく。

 七尾の中心街から県道1号経由で和倉温泉へ。そこから能登島大橋で能登島に渡り、伊夜比咩(いやひめ)神社を参拝。能登島にも式内社は1社ある。

 能登島から和倉温泉に戻ると、七尾市内の川尻町の荒石比古(あらいしひこ)神社、白浜町の白比古(しらひこ)神社、中島町笠師の菅忍比咩(すがおしひめ)神社、中島町藤瀬の藤津比古(ふじつひこ)神社をめぐった。

 白比古神社は中能登町の良川にもあったが、2社はともに式内社の論社だ。

 こうして七尾市内の式内社のすべてまわったが、全部で12社になった。さすが能登国の中心の七尾だけのことはある。

 中能登町の式内社はそれほど大きな被害を受けていなかったが、七尾市になると鳥居が倒壊していたり、神燈や狛犬が落下している神社が多かった。同じ能登郡といっても中能登町と七尾市では、大地震による被害にはかなりの違いがある。なお、能登郡の郡名は後に鹿島郡に変わる。

 中島町藤瀬の藤津比古神社の参拝を終えると、県道23号で盤谷峠を越えて志賀町に入り、東小室の諸岡比古(もろおかひこ)神社と直海の瀬戸彦(せとひこ)神社をめぐった。2社ともに大地震の影響をまともに受け、かなり激しくやられている。それでも社殿は倒れずに残っていた。

 志賀町は町の南部の高浜を中心とする一帯と、町の北部の富来を中心とする一帯では、大地震の揺れの度合いはかなり違っていることがわかる。

 諸岡比古神社は志賀町東小室と、「羽咋郡編」でまわった志賀町二所宮、輪島市門前町道下にあるが、これらの3社は式内社の論社だ。

 18時30分、高浜に戻ってきた。この日の走行距離は264キロ。「はしみ荘」に連泊した。夕食は「じんずし」の「握りずし」と「太巻」。それを部屋で食べるのだった。