2024年3月11日 – 14日

気仙沼は急ピッチに復興している

 雄勝を出発。国道398号で釜谷峠を越え、北上川の河畔へと下っていく。そこに大津波に襲われた悲劇の現場の旧大川小学校がある。この日は3月11日の翌日の3月12日だったが、訪れる人も少なくひっそりとしていた。

 国道398号の新北上大橋で北上川を渡り、東北第一の大河、北上川の堤防上の道を走る。この堤防上の区間は全線の改修工事が終わっている。拡幅され、今では快適なリバーサイドロード。白浜海岸でSX250を止め、北上川の河口を眺めた。

 北上川の河口を後にすると、三陸海岸の名勝神割崎を見て、南三陸町の志津川へ。国道45号に合流し、志津川の中心街に入っていく。道の駅「さんさん南三陸」でSX250を止めると、震災伝承館の「南三陸311メモリアル」、旧南三陸町防災庁舎と見てまわり、南三陸町震災復興祈念公園を歩いた。

 旧南三陸町防災庁舎は鉄骨の骨組みだけが残っている。町の女性職員の遠藤未希さんはここから防災無線で「早く高台に逃げてください」と叫びつづけた。遠藤さんは大津波に飲み込まれて亡くなったが、そのおかげで多くの命が救われた。

 震災後、旧南三陸町防災庁舎は解体されることになったが、宮城県は震災遺構に前向きで、2031年までは県の管理で保存される。

 南三陸町から気仙沼へ。

 気仙沼の復興は急ピッチで進んでいる。三陸道の全線開通も大きく影響している。大津波に襲われ、長い間、惨状を見せていた南気仙沼も今ではその痕跡をほとんど見ない、気仙沼漁港にも活気が戻っている。港周辺の町づくりも進んでいる。大地震、大津波、大火事に見舞われた鹿折(ししおり)地区にも新しい建物が次々にできている。

 気仙沼からは国道45号で岩手県に入った。三陸道の完成以降、大半の車は三陸道を行くので、交通量の減った国道45号はスムーズに、快適に走れるルートになった。

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