2008年11月8日
60代編日本一周(その2)
輪島からさらに外浦海岸を行く。ねぶた温泉に入り、白米の千枚田、上時国家と下時国家の両豪農の家、曽々木海岸の窓岩と見てまわる。
曽々木海岸では手掘りのトンネルを抜け、断崖の小道を歩いた。断崖には日本海の荒波がぶつかり白く砕け散っている。冬本番を目前にした曽々木海岸。北西の風は身を切るような冷たさだ。
歩き終えたところで国道沿いの「曽々木食堂」で昼食。「日本海丼」(1000円)を食べた。いしる風味の玉子でとじたサザエ丼。岩ノリやアオサの海藻も入っている。そんな「日本海丼」を食べながら、窓の外の日本海を眺めるのだった。
曽々木海岸を出発。アドレスV125Gを走らせ、さらに外浦海岸を行く。
仁江の揚浜塩田を見て、狼煙へ。駐車場にアドレスを止め、禄剛崎まで歩いていく。そして岬突端の白い灯台を見る。
能登半島最北東端の禄剛崎は「海に落ちる夕日」と「海から昇る朝日」が見られることで知られている。ここからは富山湾越しに立山連峰、日本海越しに佐渡を見ることもできる。
禄剛崎をあとにし、外浦海岸から波静かな内浦海岸を行く。
珠洲の手前の蛸島は、「のと鉄道」のかつての終着駅。「終着駅」と聞くと、それだけで旅心を刺激されてしまう。しかし残念なことに、のと鉄道の「穴水→蛸島」間は2005年に廃線。それ以前の2001年には七尾線の「穴水→輪島」間が廃線になっている。
蛸島漁港に行き、岸壁にアドレスを止めた。
蛸島漁港の目の前に浮かぶ弁天島には、歩いて渡った。鉄製の錆びた橋を渡り、堤防の上を歩いて島に入る。小さな弁天島には蛸島姫神社がまつられていた。
珠洲の中心、飯田の町では、珠洲温泉「宝の湯」(入浴料420円)に入った。深い湯船にどっぷりとつかると、瞬時に冷え切った体があたたまる。これが温泉のすごさというもの。
湯から上がり、飯田の町並みを走り抜けたところでは、能登半島のシンボルといってもいい見附島(通称軍艦島)を見る。ほんとうにそっくりだ。見れば見るほど軍艦に似ている。引き潮だと、飛び石づたいに島まで行ける。
外浦海岸を行く
仁江の揚浜塩田
禄剛崎への道
禄剛崎の灯台は改修中
珠洲温泉「宝の湯」に入る
見附島(軍艦島)
見附島を出発。宇出津を通り、西日に向かって突っ走り、穴水に着いた。
穴水からは国道249号を南下。能登半島の名湯、和倉温泉では共同浴場の「総湯」(入浴料480円)に入った。さすが人気の湯だけあってワサワサと混み合っていた。
和倉温泉から能登島大橋で能登島に渡り、七尾南湾の海を見た。そこで折り返し、和倉温泉に戻った。そして七尾の町に入り、国道160号で富山県に向かった。
ゆるやかな峠を越えると富山湾岸に出る。海沿いの道を南下し、県境を越えて富山県に入った。
「氷見ブリ」で知られる氷見に着くと、JR氷見線の終着駅、氷見駅前でアドレスを止め、50代編の時と同じ「小川食堂」で夕食にする。
まずは刺身の盛り合わせ。フクラギとアオリイカ、アマエビの刺身だ。フクラギはブリになる前の呼び名。次はブリの焼魚。刺身と焼魚はご飯と一緒に食べた。最後は海鮮鍋。海鮮鍋には氷見うどんを入れて食べた。
「いやー、満足!」
全部で2500円の夕食だった。
氷見からは海沿いの国道415号を行く。ナイトランで高岡へ。その途中、夜の伏木港に立ち寄った。ここはなつかしの港。2002年の「ユーラシア大陸横断」は伏木港が出発点。ロシア船でウラジオストックに渡り、シベリアを横断。モスクワからはベラルーシ、ポーランド、ドイツ、フランス、スペインと走り抜け、ユーラシア大陸最西端のロカ岬に到達。全行程1万6000キロの「ユーラシア大陸横断」だった。
高岡に到着すると、高岡駅前のビジネスホテル「セブンセブン高岡」に泊まった。「金沢→高岡」の能登半島一周だ。
夕日に向かって突っ走る
石川県から富山県に入った
氷見の「小川屋食堂」で夕食
フクラギとアオリイカ、アマエビの刺身
ブリの焼魚
氷見うどん
海鮮鍋
2002年の「ユーラシア大陸横断」は伏木港から出発した
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