第1回目(2)2011年5月10日-20日

鵜ノ子岬から小名浜へ

 5月11日、鵜ノ子岬の勿来漁港では、夜明けとともに起きる。シュラフのみの野宿なので、撤収は簡単。5分もかからずに出発の準備完了。スズキDR−Z400Sのエンジンをかけると、まずは勿来漁港をひとまわりする。

 堤防は無事だ。まったくといっていいくらい破壊されていない。テトラポットもそのまま残っている。漁船にもそれほど大きな被害は出ていないようだ。

 勿来漁港は鵜ノ子岬によって守られたといっていい。岬自体も大津波の痕が岩肌に生々しく残っているものの、断崖が崩れたりしている箇所はない。

 次に勿来の海水浴場に行く。きれいな砂浜がいつものようにつづいている。浜辺の監視塔もそのまま残っている。その先の国道6号沿いの勿来温泉「関の湯」は営業中。

 白河、鼠ヶ関と並ぶ奥羽三関のひとつ、高台上の勿来関跡に行くと、乗馬姿の源義家像は健在だ。「文学歴史館」や「吹風殿」も大丈夫のように見える。国民宿舎「勿来の関荘」も営業中。勿来では大津波の被害をほとんど見ることはなかった。

 勿来から国道6号経由で小名浜へ。

 勿来ではそれほどの被害は見られなかったが、小名浜は一転して、大きな被害を受けていた。その間はわずか10キロほどでしかないのに、ずいぶんと大きな違いがある。

 大津波の直撃を受けた東北最大級の水族館「アクアマリンふくしま」は休業中。小名浜港は漁港も商港も大きな被害を受けていた。

 魚市場の建物は残ったが、ここで競りが再開されるまでには、まだ相当の時間がかかりそうだ。お目当ての「市場食堂」は休業中。その前はガレキの山になっていた。

 漁港の岸壁に乗り上げた大型漁船が3000トン級のクレーン船でつりあげられ、海に戻す作業が完了したという。漁港を見にきた漁師さんは、小名浜漁港復興の第1歩になるといって喜んだ。

 その漁師さんは「まさか小名浜にこれだけ大きな津波が来るなんて、誰も思ってなかったよ」
 と言った。

 カツオ漁が始まる前に小名浜漁港が復活し、水揚げが始まり、競りが始まるのを期待しよう。そのときはきっと「市場食堂」も再開されることだろう。

 小名浜港を守るような形で東側に三崎が突き出ているが、もしこの岬がなかったら、小名浜は壊滅的な状態になったであろう。その三崎の展望台に登り、そこから小名浜漁港を見下ろした。次に三崎の潮見台から小名浜周辺の海岸線を見下ろした。三崎公園の園地に立つ「マリンタワー」は休業中だ。

 小名浜の三崎からは竜ヶ崎、合磯岬、塩屋崎、富神崎と岬をめぐる。

 海岸線を行く県道15号は全線通行可。道路に被害は出ていない。交通量もいつもと変わりない。その県道15号から海沿いの道に入っていく。

 竜ヶ崎と中之作漁港、合磯岬と江名港と、岬とセットになった漁港は大きな被害を受けたが、ここでも岬に守られ、壊滅的な状態にはなっていない。海岸沿いの家はほとんどが残っている。

 ところがその北の豊間、薄磯になると状況は一変した。

 灯台のある塩屋崎の南側は豊間海岸、北側は薄磯海岸になるが、大津波は堤防を乗り越え、豊間と薄磯の集落を飲み込んだ。ともに壊滅的な状態。300人以上犠牲者がこの2つの集落から出ている。いわき市の被害は死亡、行方不明を合わせると400人近いが、その大半は豊間と薄磯に集中している。

 豊間に入っていく道はいわき病院の先で、ガレキの撤去作業のため8時から17時までは通行止。交通整理をする人に聞くと、塩屋崎の美空ひばりの「みだれ髪」の歌碑は奇跡的にも無傷で残ったという。

 豊間からは県道15号経由で薄磯へ。薄磯も壊滅状態。その中にあって薄磯の一番北側にある民宿「しんべい」の建物は残っていた。ここは1989年の「日本一周」で泊まったなつかしの宿。みなさんにはよくしてもらったのだ。

 そのときの旅の様子を紹介しよう。

 小名浜からひとつ、またひとつと岬をめぐった。

 最初は三崎だ。小名浜港の北側に突き出た岬で、北風を防ぐ天然の防波堤になっている。岬全体が公園で、中央にはマリンタワーがそびえ、岬突端の潮見台には、展望台が海上に延びている。この海上展望台は迫力満点。岬の断崖から一歩、足を踏み外し、海上をフワフワ飛んでいるような気分にさせられる。

「怖いわ。もし、地震でも起きたら…どうしよう…」

 わずかに揺れる海上展望台では若い女の子が男の子にしがみついている。

 次に竜ヶ崎、合磯岬に立ち、最後に塩屋崎へ。三崎から塩屋崎までは、ほぼ3キロの等間隔で岬が並んでいる。何とも規則正しい地形なのである。

 第三紀層の丘陵が波の浸食によって削られた塩屋崎では、灯台下の駐車場にスズキ・ハスラー50を停め、急傾斜の石段を登った。高さ50メートルほどの海食崖に囲まれた岬の上からの眺めは絶景で、南側には豊間漁港を見下ろし、北側には薄磯海岸の砂浜を一望する。

 岬下に歌碑があった。

「春は二重に巻いた帯
 三重に巻いても余る秋
 暗らや涯なや塩屋の岬」

 1989年6月に亡くなった美空ひばりの『みだれ髪』の歌詞が彫り刻まれている。

 ひばり人気を物語るように、歌碑の前には缶ビールや缶ジュース、菓子、果物、花束などが供えられている。

 薄磯海岸の海水浴場は、すでに夏の終わりといった風情で、海の家が撤去されている最中だった。

「しんべい」という民宿で泊まった。客はぼくのほかには一家族だけで、12畳敷をぶち抜いた24畳の部屋を一人で使わせてもらった。民宿の夫婦、娘さんとも、なんともやさしい人。笑顔とか、ちょっとした仕草に感じるやさしさはとろけるようなもの。そこに東北人を強く感じるのだった。

『50ccバイク日本一周2万キロ』JTB刊より