[1973年 – 1974年]
サハラ砂漠縦断編 2 サンルイ[セネガル] → アキューズ[セネガル]
国境のセネガル川
セネガルの古都サンルイからモーリタニア国境へ。100キロほどの距離がある。車に乗せてもらえないまま、北に向かって歩いた。南京豆畑。枯れた木を多く見る。乾燥した風景。やっとオンボロのルノーに乗せてもらう。その車は何度も調子が悪くなり、そのたびにエンジンを見る。やっとの思いで国境の町、ロッソに着いた。
目の前にはセネガルとモーリタニアの国境のセネガル川が悠々と流れている。この川を渡ってモーリタニアに入れば、そこはもうサハラ砂漠の世界だ。
1972年の「サハラ縦断」がなつかしく思い出される。
そのときは今回とは逆に南下したが、セネガル川の流れと河畔の緑を見たときは大感動で、「おー、水だ、緑だ!」と、裸になってセネガル川に飛び込んだ。砂漠を見つづけてきた目には、セネガル川の流れはあまりにも強烈だった。
モーリタニアの首都ヌアクショット
セネガル側のロッソには、フェリーを待つトラックの長い列ができていた。それを見ながらカヌーで対岸のモーリタニア側のロッソに渡る。セネガルの出国手続き、モーリタニアの入国手続きはじつに簡単なもの。それだけ両国の人の行き来、物の行き来が多いということなのだろう。
セネガル川を渡ると、急激に緑が薄れる。脳天を焼き尽くすような暑さ。炎天下を歩きはじめたが、じきに首都ヌアクショットまで行く役人のプジョーに乗せてもらえた。車は120キロぐらいのスピードで突っ走る。
あっというまに砂漠の風景に変っていく。
国境からヌアクショットまでは200キロほど。2時間もかからずに到着した。
真昼のヌアクショットの暑さは言葉ではいい表せないほど。歩く気力をなくし、夕方になるまで、町の中央の市場でゴロゴロしていた。
ここでも1972年の「サハラ縦断」がなつかしく思い出された。そのときは猛烈な砂嵐に見舞われた。白っぽい砂ですっぽりと覆われた町の姿はまるで雪気色。大通りを除雪車ならぬ除砂車が忙しげに動きまわっていた。
遊牧民のテントで泊まる
すべてを焼き尽くすような太陽が西の空に傾く。やっと歩けるような状態になり、ヌアクショットを出発する。
じつにラッキーなことに、歩き出して間もなく、乗せてもらえた。その車はアキューズへの手前で舗装路を外れ、砂漠の中を走る。
前方に遊牧民のテントが見えてきた。井戸があり、砂漠の民のモール人がラクダやヤギ、ヒツジに水を飲ませていた。ぼくを乗せてくれた人は遊牧民のテントをまわる行商人のようだ。
とあるテントに連れていかれる。2本の丸太を柱にし、ラクダの毛で編んだ布を屋根にかけている。同じくラクダの毛で編んだ絨毯がテントの中に敷かれている。
お茶をいただく。中国製の緑茶だ。それに砂糖を入れて飲む。
お茶のあとは礼拝。テントから外に出、砂の上にひれ伏し、メッカの方角に向かって祈る。礼拝が終ると夕食。客人をもてなすためなのだろう、羊肉が出た。
夜はそのテントで泊めてもらう。
夜中に突風に見舞われ、テントは飛ばされた。あわてて飛び起きたが、遊牧民たちは驚きもしないで平然とした顔をしている。テントなどは簡単に建てられるからだ。やがて何事もなかったように風はやんだ。見上げる空は満天の星空だった。
アキューズに到着
サハラの夜明け。砂漠をほんのりと白く浮き上がらせ、やがて空一面に色づいてくる。地平線に昇る朝日。すべてのものを焼き尽くす真夏のサハラの1日の幕が切って落とされた。
遊牧民のテントを出発。砂漠の中を走り、やがて首都ヌアクショットと銅山のあるアキューズを結ぶ舗装道路に出る。
ヌアクショットから250キロのアキューズに到着。ここまでが舗装路だ。
この先、もうヒッチハイクはできない。お金を払って車に乗せてもらうしか、方法がない。いよいよ厳しいサハラの旅がはじまった。