目指せ、聖山カイラス! 1999年 (1)

突然の心臓発作

 前回の「モンゴル一周」を終え、帰国してすぐにカソリ、50代に突入。体力も気力も充実していた。

 9月には「東北一周」を走り、10月には九州の「峠越え」で50峠を越え、11月には「東京→富山→京都」間で58ヵ所の「日本一めぐり」をした。12月に入ると吹雪の田代山林道を走り、奥会津で雪中キャンプをした。

 ということでカソリ、怖いものなし。

 パワー全開でバイクを走らせ、「バイクは50歳になってからがおもしろい!」
 と、そう言った。

 ところがその年の暮れのことだ。12月29日の未明、突然、心臓発作に見舞われた。人生、一寸先は闇。

 何の前ぶれもなしに、急に苦しくなった。首を細ひもでギュッと締められているかのような息苦しさだ。

 妻の車で我が家に近い東海大学病院の救命救急センターに運ばれた。

 心電図をとられると心臓停止の一歩手前だといわれた。脈拍は途切れ途切れで、1分間に30もない。普段は60から70なので、半分もない。

 幸か不幸か、年末でベッドがとれず、入院できなかった。半日、待合室で待たされ、具合が大分よくなったとのことで家に帰された。

 何とも暗い気分で迎えた正月。もう最悪。人間、心臓をやられると、まったく動けなくなってしまう。家の階段を登るのが辛かった。

 新年早々、東海大学病院の循環器内科で心臓の検査が始まった。

 病名は「発作性心房細動」という診断が下された。

 いろいろな検査を受けたが、心臓には何ら異常はないという。

 2月に入ると、もう通院しなくてもいいといわれた。だが、体は元には戻らない。体がまったく動かないのだ。

 バイクに乗れるようになったのは4月になってからのことだった。

バイクは最高の健康機器だ!

 バイクに乗るようになってからというもの、急速に体が動くようになった。

 このときぼくは「バイクは最高の健康機器!」だと確信した。

 しかし心臓発作の後遺症は大きく、ひどい不整脈が残った。1日に2万回以上もの脈が抜けてしまうのだ。一日中、脈を気にする毎日だ。

 あまりにもひどい不整脈なので、9月になると、再び東海大学病院の循環器内科に行った。すると心臓の動きを抑える薬を飲まされた。これを飲むと気分がすごくブルーになってしまう。それを3ヵ月以上も飲んだが、ちっともよくならない。

 すると先生は「薬を変えましょう」
 といって、心臓の動きを活発にさせる薬に変えた。

 その薬を飲みはじめてからの恐怖感といったらない。

 まるで心臓がピョコンピョコン飛び跳ねるかのようだ。

「これはヤバイ!」

 ぼくは自分の判断で薬を飲むのをやめた。

 それからまもなく、スズキDJEBEL250のGPSバージョンで、1年遅れになった50代編「日本一周」に旅立った。

 東京を出発してから13日目。四国の四万十川沿いを走っているときのことだ。信じられないことが起きた。不整脈がピタッと止まったのだ。この時ぼくは、ますます「バイクは最高の健康機器だ!」と確信した。医者が治せない病気をバイクが治してくれた。それ以降、あれほど悩まされた心臓の不整脈は一度も起きていない。

 1999年の「50代編日本一周」は「西日本編」と「東日本編」の2分割でまわったが、その間の夏、8月1日に道祖神の「賀曽利隆と走る!」シリーズ第4弾目の「目指せ、聖山カイラス!」に出発した。

50代編日本一周の「西日本編」。門司港駅前で