甲州の小正月(1)

1986年

 観文研(日本観光文化研究所)の企画編集による『日本の郷土料理・全8巻』(ぎょうせい刊)では、年中行事の一例として甲州の小正月行事を見てまわった。

 小正月とは1月15日、もしくは1月14日から1月16日までをいうが、それに対して1月1日は大正月になる。

 小正月の行事が盛んにおこなわれいるのは東日本で、とくに甲州では盛んにおこなわれ、伝統的な行事が数多く残されている。

 そのような小正月の行事例として山梨県東部、郡内地方の西原(さいはら)の小正月を見た。

 西原の小正月の準備は1月11日に始まる。

 この日、小正月の御飾りに使うカツノキ(ヌルデ)を山に伐りにいく。村の8割が山林という山国の西原だが、全山が民有林で、その大半は大山林地主の持山になっている。しかし、この日に限っては、どの山にでも自由に入ることができ、カツノキを伐ることができる。

 また、この日には「クワイレ」と呼ぶ種播行事がおこなわれる。畑の一角にコバタ(幤束)を立て、粟や稗などの種まきの真似をする。

 西原は「雑穀の村」といってもいいほどで、今もって(1986年時点)粟、稗、黍、モロコシ、シコクビエの雑穀をつくっている。

 1月13日になると、小正月の御飾りをつくる。

小正月のカドドウシン
小正月のカドドウシン

 直径20センチほどのカツノキを1メートルくらいに切り、上部を削り、そこに墨で顔を書く。1本のカツノキに男の顔を、もう1本のカツノキには女の顔を書き、2本で一対になっている。それを「カドドウシン」と呼んでいる。

 そのほかに、カツノキを削って粟穂や稗穂、鍬、鎌などをつくり、カドドウシンに供えてセットにし、玄関や便所、井戸、馬を飼っていた時代には厩にも立てた。

 カドドウシンは魔除けであるのと同時に、夫婦仲の良さをも表しており、それを立てることによって家内安全と五穀豊穣を祈願した。

 土間には1メートルくらいの長さに切りそろえたカツノキの束を下段に3杷、中段に2杷、上段に1杷と、ピラミッド状に積み上げ、人の背丈ほどにもなる山型をつくり、その前にムシロを敷く。ムシロの上に、きれいに洗った鍬や鎌を並べ、供物を供えるための膳を置く。

 供物は饅頭と御神酒、それと米。饅頭は粳米の米粉をこね、中にあんを入れ、蒸籠で蒸したものだ。

 西原にはほとんど水田はない。そのため米は昔から貴重で、米の飯を炊いたり、米粉で饅頭をつくるのは、かつてはハレの日に限られていた。

 米粉の饅頭だけでなく、モロコシやシコクビエの雑穀も粉にして、同様の饅頭をつくった。それらの饅頭は小正月の供物であるのと同時に御馳走でもあった。

 米が常食になる以前、糯米で搗いた餅というのはお供えの重餅ぐらいで、その重餅も下が白い糯米の餅、上が粟や黍の黄色い餅というのが当たり前だった。

 カツノキの束を積み上げた山型の上には、同じくカツノキでつくった刀と先の粟穂や稗穂を何本も刺して傘状にした竹筒を飾る。

 繭玉も1月13日に飾る。

 繭玉は粳米の粉からつくる小さな団子で、円い団子のほかに繭の形に似せただ円形のものもつくる。

小正月の繭玉飾り
小正月の繭玉飾り

 これらの団子と小さなミカンをヤマコゾウと呼んでいるヤマグワに似た木の枝に刺し、神棚と座敷に飾る。白い団子は白い繭を、黄色いミカンは黄色い繭を表しているという。

 繭玉飾りはきれいなもので、部屋の中で花が咲いたような華やかさがある。

 この繭玉飾りにクモの糸がかかると、
「アアジ(糸)のかかりがいいから、オカイコ(蚕)の当たり年だ」
 といって喜んだという。

 西原は戸数が400軒ほどの村だが、一昔前までは全戸といっていいほど、養蚕がおこなわれていた。それがすっかり衰退し、それとともに繭玉飾りをする家は少なくなった。

 以上のような小正月の準備を整えて1月14日を迎える。

 14日の夜にはそばを打つ。

 西原では年2回、ソバをつくっている。

 4月に種をまき、7月に収穫する夏ソバと、8月から9月にかけて種をまき、10月から11月にかけて収穫する秋ソバだ。

 ソバがたくさんつくられていた頃は、そばがきが一般的な食べ方だった。椀にそば粉を入れ、熱湯を注ぎ、箸でかきまぜて食べる。

 日常のそばがきに対して、そば粉を打ってそば切りにするのはハレの日で、小正月の14日のほかにはお盆の14日にそばを打つ。

 ただし西原ではそば粉だけでそばを打つことはない。うどんといった方がいいようなそばで、そば粉2に対してうどん粉8とか、そば粉3に対してうどん粉7といった割合でまぜ合わせたものである。

 ゆでたそばは笊にあげ、醤油味の汁につけて食べる。汁の中には大根などの具が入っている。

 14日には「オマツヤキ」と呼んでいるどんど焼きがおこなわれる。どんど焼きは子供たちの祭りで、この日、学校から帰った子供たちは家々をまわり、正月に立てた門松などを河原に集め、夕暮れ時に焼く。その時、一緒に正月の書初めも焼く。それが空高く舞い上がればあがるほど腕も上がるといわれ、棒で高く上げる子もいるほどだ。

 繭玉飾りの団子をどんど焼きの火で焼いて、焦げた団子を食べると風邪をひかないともいわれている。

 西原の郷原ではこの日、道祖神祭りがおこなわれる。

「ハシラ」と呼ぶ長さ10メートルほどの丸太に綱をつけ、集落内を引きまわす。ここでは昭和30年代までは麦を盛んにつくっていたが、その当時は道祖神祭りのハシラが麦畑を踏みまわすほど、麦はより多くとれたという。

 そのあとでハシラは道祖神の脇に立てられるのだが、ハシラを四方八方に引っ張る縄は「道祖神の道」にたとえられる。このハシラは1月20日の恵比寿講の日に倒される。

 15日は気の合う仲間が集まって、酒宴を開くことが多い。

 16日は「正月16日と盆の16日、地獄の蓋があく」といわれ、仕事は一切しない。 このように14日、15日、16日の小正月の3日間は仕事を休む。1年を通してほとんど休みなく働きつづける山村の人たちにとっては、小正月の3日間というのはこの上もないハレの日なのである。