[1973年 – 1974年]
赤道アフリカ横断編 3 ブニア[ザイール] → キサンガニ[ザイール]
豚と一緒に…
ザイール東部の町ブニアからキサンガニへ、旧式フォードのトラックに乗せてもらう。荷台は2段に仕切られ、50頭づつ豚が積まれている。前半分にはさらにもう1段、つまり3段目がある。そこに数人の乗客が乗り、ヤギやニワトリが積まれる。ぼくは荷台の一番高い所に座った。
さー、出発だ。運転手はまだ若いモネバさんという太った人。助手が2人、ついている。トラックの荷台のてっぺんからの眺めは何ともいえない。サバンナの風景を一望。雄大な気分になってくる。
軍の検問
とある村に着いたときのことだ。2人の軍人が検問していた。軍人は「ピー」っと笛を吹き、トラックを止めようとした。ところがモネバさんは無視し、スピードを上げる。デコボコ道を突っ走ったので、トラックは大きく跳ねた。その拍子に豚が1頭、荷台から落ちた。トラックを止め、豚を追いかけているとき、追跡してきた軍の車がやってきた。モネバさんはその軍の車に乗せられてしまう…。
「これはエライことになった」
と思った。
逮捕されたら2、3日は動けないかもしれない。だが、2、3時間すると軍人に連れられてモネバさんが戻ってきた。トラックはさきほどの村に戻る。検問所の軍の親分は人間2人とヤギ7頭をキサンガニまでタダで乗せていけといっている。モネバさんは反骨精神旺盛で軍の親分にたてつき、金を払わなくっては乗せないとがんばっている。
しかし、ついに軍の権力に押し切られた形になり、渋々、2人の人と7頭のヤギを乗せ、その村を走り出した。
サバンナから密林へ
トラックはベニからの道との分岐点のコマンダに着いた。このあたりは東アフリカから延びる高原のサバンナ地帯とザイール盆地の密林地帯の境で、コマンダの町を過ぎると、トラックははてしなくつづく密林地帯の中に入っていく。
木々がうっそうと茂り、見上げるような大木が空を突く。このあたりは世界でも最も背丈の低いピグミー族の住むイトゥリの森だ。水量豊かなイトゥリ川水系の川を何本も渡って行く。乾燥した東アフリカのサバンナ地帯とはまるで違うザイール盆地の密林地帯だった。
豪雨の密林を行く
夕方になるとトラックを道端に停め夕食。火を焚き、ニワトリを1羽つぶし、鶏肉を焼いて食べる。夕食が済むと、トラックは夜通し走りつづけた。悪路を走るので、トラックはいまにもバラバラになりそうな音をたてる。おまけに100頭もの豚の強烈な臭気と鳴き声。眠れたものではない。
夜中に雨が降り出した。雨足は次第に激しくなり豪雨の様相。シートの中にもぐりこみ、ジーッとしている。下から噴き上げてくる豚の臭いがたまらない。
夜が明けても雨はやまない。豪雨は昼過ぎまでつづいた。道はぬかるみ、登り坂になるとツルツル滑り、トラックは登れなくなってしまう。運転手も助手も乗客も、全員がシャベルを持ち、道路の補修をする。さながら道路の工事現場のようだ。
「あー!」
その日の午後、トラックが何台もじゅずつながりで止まっているところにさしかかった。泥沼と化した道にズボーッとトラックがもぐり込んでいる。水路をつくって水をかきだしている。ヌタヌタの泥をかき出し、人海戦術でトラックを押すのだが、トラックの後輪は空まわりするばかりで「泥沼地獄」を抜け出せない。
「これでは当分、無理だ。さあ、昼飯にしよう」
モネバさんがそういうと、助手たちはすばやく火を起こし、紅茶をわかす。カチンカチンに固くなったパンにマーガリンを塗って食べ、紅茶で腹に流し込む。
昼食が終わったところで、トラックの荷台に戻り、昼寝しようと思った。なにしろ前の晩はほとんど眠れなかったので、眠くて仕方ない。
荷台をよじ登り、一番上まで登った。そのとき、泥まみれの足だったのでツルッと滑ってしまった…。
「あー!」
体勢を整える間もなく、あっというまに、まっさかさまに落ちてしまった。体中から一瞬のうちに血の気が引いていく。高さは3、4メートルほど。後頭部から落下したのだが、地面に落ちる直前で体の向きを本能的に変えたからなのだろう、顔の右半分、右肩、右膝を地面にたたきつけるような格好で落ちた。
落ちた瞬間はまったく痛みを感じなかった。スーッと気が遠くなり、まるで天国にいざなわれていくようで、すごく気持ちの良いくらいだった。モネバさんや助手たちが何か口々に叫びながらぼくの顔をのぞきこんでいる。
しばらくして、やっと立ち上がることができた。そのころから顔、肩、胸、膝などがズキズキと激しく痛み出してくる。思わず顔をしかめてしまう。これが舗装路だったら命にかかわるような大怪我だったことだろう。だが、何とも幸いなことに地道で、それもヌタヌタ道だったので助かった。激痛に襲われてはいるが、骨は折れていないようだった。
「ひっくりかえる!」
「泥沼地獄」は大変な思いで突破したが、次の日もそれに輪をかけて大変な1日だった。ぬかった道を走っているときのことだった。トラックの車体が突然、大きく右に傾いたのだ。傾き方が急過ぎる。
「ひっくりかえる!」
と思い、乗客たちは我先にと荷台から飛び降りる。
かわいそうなのは豚。荷台が斜めに傾いてしまったので、折り重なるように倒れ、グワー、グワーとすさまじい悲鳴を上げている。モネバさんはトラックを停めると、すぐさま荷台の扉を開け、豚を1頭づつ降ろす。しかし3頭の豚が押しつぶされて死んだ。それら3頭の死んだ豚は集まってきた村人が買っていった。
何しろ10何年も前のオンボロトラックなので、傾いた拍子に荷台を支えていたバネがはずれてしまったのだ。ハンマーとジャッキを使っての修理が始まる。その間、我々は手に手に棒を持ち、豚が逃げていかないように見張っている。
しかし、そうはうまくいかない。豚が逃げると、その逃げた豚を追って森の中に入っていく。豚との大格闘。おまけにブヨが多く、肌が空気にふれているところはあっというまにやられてしまう。かゆくてかゆくてたまらない。3時間近くかかってやっと修理は終わった。豚を集め、トラックに乗せる。だが、数が足りない。全員で手分けして森の中を探し、やっと出発にこぎつけた。
キサンガニに到着!
キサンガニへの道沿いには竹藪が多くあった。竹が道に覆いかぶさるように垂れ下がっている。トラックの荷台に乗っているので、それをよけ切れず、何度も竹で顔を切った。もう血まみれ状態。見られた顔ではない。さらにトラックから落下したときの痛みがひどく、「何でこんな苦しみを味あわなくってはいけないの…」
と、けっこう泣きが入る。
ブニアを出てから5日目、ついにモネバさんのトラックはキサンガニに着いた。ブニアから700キロ。「アフリカ横断」の大きな難関を突破した。