[1973年 – 1974年]
赤道アフリカ横断編 2 ベニ[ザイール] → ブニア[ザイール]
「黒い天使」
ウガンダ国境からベニまでは人家も少なく、農地もほとんど見なかったが、ベニを過ぎると一変する。自然の恵みを感じさせる村々がつづく。道の両側には土壁、草葺屋根の家々が建ち並んでいる。バナナ、コーヒーが植えられ、油ヤシが森を成している。
ベニを過ぎたら交通量が多くなるのではないかと期待したのだが、あいかわらず通る車はきわめて少ない。車に乗せてもらえないまま歩きつづけた。人が多くすんでいる一帯なので、見たこともないような珍しい人間が歩いているということで、子供たちがキャッキャいいながらついてくる。何ともいえずかわいらしいアフリカの子供たちだ。
子供というのは世界中、どこにいってもかわいらしいものだが、アフリカの子供たちはとくにかわいらしい。まるで「黒い天使」のようだ。
教会の「ツーリストハウス」
食料を持っていないので、食事時になると村で立ち止まり、バナナやパパイヤ、キャッサバなどを売ってもらって食べた。カタコト語と身振り手振りで、あとはニコニコ顔での会話。村人は椅子とテーブルをもってきてくれる。木陰で食べ、食べ終わると、お金を払おうとするのだが、受け取ってもらえないことがたびたびだ。そんなときは「ありふぁとう!」を連発してニコニコ顔で握手をかわし、村を離れていく。アフリカのみなさんの好意には甘えっぱなしだ。
ベニから歩きはじめた日は何台かのトラックが通ったが、乗せてもらえず、とうとう1日、歩き通した。何度も繰り返しいってるように、ぼくのヒッチハイクの仕方は徹底的に歩き、歩きながらヒッチハイクするというものだった。
夕方、オイチャという村に着いた。子供たちにとり囲まれ、「泊まるところがあるよ!」ということで、教会につれていかれた。そこには「ツーリストハウス」があった。レンガ造りの建物。床はコンクリートでトイレ、シャワー、洗面所がある。旅行者だったら、誰でも自由に、タダで泊まれる。ここの神父さんは若い頃、ぼくと同じようにヒッチハイクでアフリカを旅したという。そのときいろいろなところで、いろいろな人たちにお世話になった。そのときの恩返しで、この「ツーリストハウス」を造ったという。
泥土の道を行く
次の日はもう最悪。土砂降りの雨の中をずぶ濡れになって歩く。人家も少なくなる。道がドロドログシャグシャ状態。まさに「泥土地獄」だ。降りしきる雨の中を、すっかりすり減ったゴムゾウリで歩くのだが、ツルツル滑って歩きづらいことこの上なし。で、裸足になって「泥土地獄」の道を歩く。ツルツルッと滑り、何度も転んだ。
夕方、ずぶ濡れになって小さな村にたどり着いた。村外れではトラックが泥の中にめりこみ、完全に道をふさいでいる。そのため何台ものトラックが立ち往生。これではいくら歩いても、車が来ないはずだ。
その村でひと晩、泊めてもらい、ベニからの3日目もただひたすらに歩いた。いったいいつまで歩くのだろう…と、情けない気分になってくる。
「ラッキー!」
キブ州と上ザイール州の州境を越える。人家は一段と少なくなり、森は深くなる。車が一台も通らないまま、3日目も夕暮れが迫ってきた。すでにベニから120キロ近く歩き、コマンダの町が近い。アルバート湖の東のブニアとキサンガニを結ぶ街道との分岐点、そこがコマンダだ。
道が開いたのだろう、トラックがやってきた。だが、乗せてはもらえなかった。つづいて赤いフォルクスワーゲンがやってきた。「ラッキー!」。そのフォルクスワーゲンは停まってくれた。「BP(ブリティッシュペトロール)ザイール」のテッド。30代前半のイギリス人だ。彼はブニアに行く途中だった。テッドにいわれるままに、ぼくもブニアまで行くことにした。目指すのはキサンガニで、ブニアは反対方向になるのだが、テッドはブニアの懇意にしているギリシャ人商人にキサンガニまで行くトラックにぼくが乗れるよう頼んでくれるという。
モンオヨで
テッドはブニアに行く前に、モンオヨ(Mt.Hoyo)でひと晩、泊まるという。広大なザイールの密林地帯の東端にある山で、標高1450メートル。絶景ポイントで、ちょっとした観光地になっている。ホテルもある。テッドはぼくにも1部屋とってくれた。その夜はホテルのレストランで夕食をご馳走になり、食後はホテルのバーで飲んだ。
次の日、テッドはガイドを雇った。モンオヨで蝶を採るのだという。蝶の採集に付き合い、そのあとはモンオヨの洞窟や滝にも行った。高台に立つと、茫洋と広がる大密林地帯が一望できた。
ブニアの豪商
午後、ブニアに向けて出発。コマンダに出、キサンガニとは反対方向のブニアに向かう。まだ、明るいうちにブニアに到着。テッドに連れられ、この町で一番のギリシャ人商人のニコラスさんの店に行く。そこはBPザイールの代理店にもなっている。テッドの話によると、この地方に入ってくる石油類は、ケニアのモンバサ港からウガンダを経由し、陸路で入ってくるという。その夜はニコラスさんの豪邸で泊めてもらい、食べきれないほどの夕食をご馳走になった。
翌朝、パンと紅茶の朝食をいただく。食べ終わると、ニコラスさんはキサンガニに行くトラックがあるからと、そこまで連れていってくれた。ビスケットなどの食料ももらった。テッドも赤いフォルクスワーゲンで来てくれる。BP本社の住所を書いてくれ、「ロンドンに着いたら、寄るように!」といってくれた。
ありがとうテッド!!