チベット横断 2009年
おー、崑崙よ!
道祖神の「賀曽利隆と走る!」シリーズ第14弾目の「チベット横断」は2009年7月1日に日本を出発。シルクロード起点の西安から中国製のバイクで蘭州→嘉峪関→敦煌と走り、敦煌からチベット高原に向かった。
西安を出発してから9日目、青海省のゴルムドに到着。ここから青蔵公路(国道109号)でチベットのラサへ。その間では崑崙山脈を越えていく。我が憧れの崑崙。標高4767メートルの崑崙峠に立ったときは、「おー、崑崙よ!」と、喜びを爆発させた。さらにそのあと標高5010メートルの風火峠を越えた。
風火峠を下ったダダでは長江と出会った。長江最上流部のダダ川にかかる青蔵公路の橋を渡った。この橋は長江源流の最初の橋になる。
この夜は最悪。ダダの町の標高は4521メートル。「長江源賓館」に泊まったが、高山病にやられ、息苦しくてほとんど寝られない。仕方なくホテルのロビーのソファーに座っていた。この格好だと、すこしは楽に息することができた。
ダダを出ると青海省とチベット自治区の境、標高5231メートルの唐古拉峠を越えた。つづいて標高5170メートルの峠を越えた。高山病にすっかりやられてしまったので、何とも辛い峠越えになった。
眠れない、食べられないという重度の高山病の状態でラサに到着すると、あまりの空気の濃さに驚かされた。高山病は一発で治り、普通に歩けるようになり、普通に食べられるようになり、普通に寝られるようになった。
といってもラサの標高は3650メートル。富士山ぐらいの高さはあるが、4000メートル、5000メートルの世界から下ってくると、まるで天国のように感じられた。
奇跡はつづく
ラサからシガツェ、ラツェを経由し、標高5248メートルのギャムツォ峠を越えてチョモランマのベースキャンプへ。標高5000メートルのロンボク寺に泊まったが、その日の夕方、チョモランマの頂上にかかっていた雲はきれいにとり払われ、そのピークを見ることができた。モンスーンの季節でチョモランマを見るのはほとんど無理だといわれていただけに、狂喜乱舞で夕日を浴びたチョモランマを見つづけた。
ティンリンで泊まった日の朝は快晴。目の前の平原の向こうには標高8201メートルのチョーユーが聳えていた。神々しいほどの山の姿。その左手には標高7952メートルのギャチュンカンが見える。チョモランマも見えていたが、堂々としたチョーユー山群に圧倒され、ここでは脇役でしかなかった。
ティンリンからは標高8012メートルのシシャパンマへ。ヒマラヤ8000メートル峰の奇跡はさらにつづき、チベッタンブルーの抜けるような青空を背にしたシシャパンマの主峰を見ることができた。シシャパンマ山群を左手に見ながら走った。雪山の白さ、氷河の白さはまばゆいほどだ。そして「チベット横断路」の新蔵公路(国道219号)のサガの町に出た。
チベット(西蔵)と新疆ウイグル自治区を結ぶ新蔵公路は劇的に変わった。すっかり道がよくなっている。何本もの川には橋がかかり、川渡りをすることは一度もなかった。
ヤルツァンポ川と別れ、標高5216メートルのマユム峠を越えると、聖山のカイラスが見えてくる。マナサロワール湖も見下せた。
チベット西部に入ると、何と舗装路が延々と阿里(獅河泉)までつづいていた。
阿里からは最後の5000メートル級の峠越え。崑崙山脈の標高5248メートルの界山峠を越え、チベットから新疆ウイグル自治区に入った。K2の登山口のマザーを通り、4000メートル級、3000メートル級の2つの峠を越え、タクラマカン砂漠のオアシス、カルグリックへと下った。そこはチベット高原とはあまりにも違う世界。
カルグリックから一望千里のタクラマカン砂漠を走り抜け、西安を出発してから31日目の8月11日、中国最西端の町、カシュガルに到着した。全行程7000キロの「チベット横断」だった。