2024年4月6日 – 10日
能登の中心、七尾へ
4月8日、「東横イン」の朝食を食べ、7時30分に出発。能登半島に向かう前に、昨年の7月に輪島から富山に移り住んだ高校時代の友人の渡部暢康君を訪ねた。
渡部君は今から45年前に奥様ともども東京から輪島に移り住んだが、その直前、新宿で友人一同が集まり、壮行会を開いて送り出したことがある。
渡部君は東京芸術大学を卒業したあと油絵をやったり、彫刻をやっていたが、漆工芸に出会った時に「これだ!」とその魅力のとりこになり、同じ芸大出身の奥様を連れて輪島に移り住んだのだ。
最初は輪島駅近くのオンボロアパートにころがり込み、その後の10年間で5回も引っ越したという。町から何キロも離れた山中の廃屋同然の家を借りて住んだこともある。若さゆえにできたドラマのような二人の人生。その間に渡部君は輪島の伝統的な漆工芸を学び、蒔絵師になった。コンクールに出展し、何度も入選するような技術を身につけていった。そして6回目の引っ越しでは新築の家に移り住んだ。
漆工芸の第一人者になった渡部君は「石川県立輪島漆芸技術研修所」の教官になり、漆器の魅力にひかれて全国からやってくる多くの学生たちを教えるようになった。そんな渡部君を40代編日本一周、50代編日本一周と2度の「日本一周」の時に訪ねた。
輪島漆芸技術研修所の教官を退官したのを機に渡部君は富山に移り住んだが、そのおかげで能登半島地震の甚大な被害から免れた。富山でも相当な揺れだったという。
渡部夫妻に別れを告げ、富山ICから北陸道→能越道で七尾へ。七尾は昔も今も変わらぬ能登の中心地。能登国の国府はこの地に置かれた。
能越道の七尾ICのすぐ近くに能登国分寺跡がある。「のと里山里海ミュージアム」は休館中(4月27日再開予定)、「能登国分寺展示館」も休館中だったが、広大な能登国分寺跡を歩きまわり、能登の歴史にふれた。復元された南門前の園地では年配の人たちがパターゴルフを楽しんでいた。
能登国分寺跡から国道159号で七尾の中心街に入っていく。町の入口の信号は能登国府を表す「古府町」。さらに行くと「能登の十字路」に出る。ここでは国道159号、国道160号、国道249号と、能登の3本の幹線国道が交差する。
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