第3回目(4)2011年9月11日 – 14日

大型漁船が気仙沼港に集まり始めている

 9月13日。夜が明けると南三陸温泉「観洋」の大浴場と露天風呂の湯に入る。湯につかりながら明けゆく志津川湾を見下ろす。やがて水平線を赤々と染めて朝日が昇る。

 震災以前は海を埋め尽くすように浮かんでいた養殖筏は、今はほとんど見られない。わずかに定置網の浮きが見られる程度。「海の畑」を思わせる光景が志津川湾に戻る日を願うばかりだった。

 南三陸温泉「観洋」の朝食を食べ、7時30分出発。スズキの250ccバイク、ビッグボーイを走らせ、国道45号で南三陸町の志津川の町に入っていく。大地震の発生は3月11日14時46分。その40分後に襲った大津波で志津川の町は全滅。1000人以上の死者・行方不明者を出した。

 国道45号でかつての町を走り抜けていくと、瓦礫はある程度は撤去されていたが、そっくりそのまま残っているところもあり、「復興への道遠し…」と思わせる光景が広がっている。その中にあってポツンと1軒、仮店舗で営業を始めた店があった。その店の前でビッグボーイを停め、自販機のカンコーヒーを飲んだ。

 つづいて南三陸町の歌津の町に入っていく。ここも壊滅状態。海沿いを走る国道45号の高架橋は落ちたままだ。そんな歌津の町並みをJR気仙沼線の歌津駅から見下ろした。線路が流された気仙沼線の開通の見込みはまったくたっていない。「ウタツギョリュウ」の化石が展示されていた「魚竜館」も大きな被害を受け、閉館したたままだ。

 南三陸町というのは2005年10月に志津川町と歌津町が合併して誕生した町だ。

 国道45号で南三陸町から気仙沼市に入っていく。元吉の手前で津谷川の河口にかかる小泉大橋の仮橋を渡った。この仮橋の完成以前は、狭路に入り、大きく迂回しなくてはならなかった。大震災から6ヵ月、こうして少しづつではあるが、復興に向かって進んでいるのを実感させる小泉大橋の仮橋だ。

 気仙沼では潮吹岩で知られる岩井崎に寄っていく。国道45号から岬までの道沿いは大津波にやられたままの状態。瓦礫も撤去されず、生々しい大津波の爪痕を見せている。岩井崎の食堂や土産物店、旅館はすべて破壊されている。それが何とも不思議なことに、岬の突端に建つ第9代横綱の秀ノ山像は無傷で残っている。

 今回の大津波では、このような「奇跡のポイント」を各地で見た。

 福島県いわき市の塩屋崎には美空ひばりの「乱れ髪」の歌碑が残っているが、岬の北側の薄磯、南側の豊間はいわき市内でも最大級の被害を出している。

 同じく福島県いわき市の波立海岸では、国道6号沿いの「波立食堂」は大津波で押しつぶされたのに、高低差のまったくない国道の反対側の波立薬師は山門、本堂ともに無傷。それよりもさらに驚かされたのは岩場に立つ赤い鳥居が残ったことだ。

 宮城県の阿武隈川河口周辺も大きな被害を出したところだが、その近くの神明社は残った。

 岩手県大船渡市の碁石岬近くの熊野神社の境内には、日本一の大椿、「三面椿」がある。碁石海岸の周辺も激しくやられたところだが、熊野神社と三面椿はともに無傷。神社の石段のすぐ下までは大津波は押し寄せた。

 岩手県宮古市の宮古湾入口の岩場に建つ龍神の祠も大津波に襲われたのにもかかわらず残った。

 これら「奇跡のポイント」は、人智を超えたところで何か大きな力が働いたとしか説明のしようがない。

 塩屋崎の美空ひばりの歌碑は「奇跡のポイント」として今、多くの人たちが見に行く新たな名所になっている。もうすこし被災地が落ち着いてくると、「奇跡のポイント」は東北・太平洋岸の人気スポットになるような気がする。誰しもが、その奇跡のパワーにあやかりたいものなのだ。

 岩井崎をあとにし、気仙沼の中心街に入っていく。

 JR気仙沼線の南気仙沼駅周辺は大津波に激しくやられたところで、大震災から半年がたったというのに浸水したままだ。やっと瓦礫撤去が本格的に始まったという状態。それが気仙沼駅の周辺になるとまったく大津波の被害を受けていない。わずかな高さの違い、地形の違いでこれほどの差が出てくるのが津波の被害なのである。

 気仙沼湾は奥深くまで切れ込んでいる。その海を突っ切って何隻もの大型の漁船が陸地に乗り上げた。大震災2ヵ月後では折り重なった乗り上げ船の下をくぐり抜けていく迷路のような道もあったが、今ではその大半はとり除かれている。

 大津波と同時に大火にも見舞われた気仙沼の被害は大きかっただけに、復興への道には厳しいものがある。そのような気仙沼だが、漁港の岸壁には何隻もの県外船が見られた。大型漁船が気仙沼港に集まり始めている。魚市場も再開されている。東北太平洋岸屈指の気仙沼漁港が復活すれば、きっと気仙沼復興のペースは上がることだろう。