第1回目(14)2011年5月10日-20日
津波の特異地帯
大船渡から、海沿いの県道9号で綾里(りょうり)に向かう。
綾里は津波の特異地帯といってもいいほどで、明治29年(1896年)6月15日の「明治三陸大津波」では38・2メートルという最大波高を記録した。
「明治三陸大地震」によってひきおこされた「明治三陸大津波」では2万1959人もの死者を出したが、この大災害によって「三陸」の名は日本中に定着したといわれる。
さらに綾里では昭和8年(1933年)3月3日の「昭和三陸大津波」で28・7メートルという最大波高を記録した。このときの「昭和三陸大津波」は死者1522人、行方不明者1542人を出した。
そして今回の「東日本大震災」では40・1メートルという「平成三陸大津波」波高を記録している。
綾里漁港でビッグボーイを停めた。
港をぐるりと取り囲む巨大な防潮堤と水門は残ったが、防潮堤を乗り越えた大津波でかなりの地域がやられた。しかし昭和三陸大津波のあと高台移転した家並みは無事だ。
三陸鉄道の綾里駅も高台にあるので駅舎は無事。駅前には暴れ狂った海「災害は忘れた頃にやってくる」と題した掲示板が立っている。それには明治三陸大津波と昭和三陸大津波の旧綾里村の被害状況が克明に記されている。
平成三陸大津波の4年前、平成19年6月につくられたもので、掲示板の最後には、
「お願い! 津波の恐ろしさを語り合い、高台に避難することを後世に伝えてください」
と書かれている。
綾里から県道9号で越喜来(おきらい)へ。平成三陸大津波の最大波高を記録した綾里湾を見下ろし、峠を越えると越喜来湾が見えてくる。
越喜来湾の一番奥に位置する越喜来の町も大きな被害を受けた。
三陸海岸というのはこのようにいくつもの湾が連続するが、その一番奥に位置する町々はどこも大津波に襲われて壊滅的な状況だ。